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13 西欧第二課 ~フォークランド紛争 立場説明の長文作成~

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 オーストラリアで韓国と同じ約2年間の勤務を終えて帰国し、1982(昭和57)年11月から外務省欧亜局西欧第二課の首席事務官になりました。

 欧亜局には西欧第一課、第二課、ソ連課、東欧課、大洋州課があり、第二課は英国、アイルランド、北欧(4カ国)、中欧(2カ国)、南欧(2カ国)、ギリシャ、マルタの12カ国を所管。私は局長、課長の下で課の業務の実質的取りまとめ役として働きました。

 東京都世田谷区下馬にある公務員住宅から車や電車で外務省のある霞が関に通勤。着任時、大西洋のフォークランド諸島の領有を巡る英国とアルゼンチンのフォークランド紛争に関する国連決議案にいかに対処するか、省内で連日会議が開かれていました。

両局長の意見が対立
 日本は英国側の立場に立つか、中南米側の立場に立つか―。結論がなかなか出ず、着任当日から帰りは午前さま。韓国駐在時の須之部量三大使が事務次官になっていました。

 外務省内は欧亜局と中南米局の両局長の意見が対立。中南米局長は辞表を懐に入れて協議に臨んでいるとのうわさもあったほどでした。国連での投票日ギリギリまで協議した結果、日本は中南米寄りの立場をとることに。

 この決定を加藤吉弥欧亜局長がコータッチ駐日英国大使に深夜に伝達。これに対し、同大使は「自分の外交官生活でこれほどの屈辱を受けたことはなかった」と新聞紙上で怒りをあらわにしました。この時、西欧第二課では日本の立場を説明する長文の文書を何回も修正したり、政府上層部の決裁をしたりなどで大変でした。

 当時の中曽根康弘首相が85年に英国、スペインなどを訪問。首相の政策スピーチの原案を西欧第二課で作成しました。この首相外遊に当たり、政策スピーチのほか、夕食会をはじめさまざまな所でのスピーチも作成するなどで忙しかったですね。

 所管する国の数が多いので、それぞれの国との協議や来訪者の関連業務、各国の情勢フォロー、日本との懸案事項の処理など仕事は多岐にわたりました。国賓でアイルランドのヒラリー大統領、ノルウェーのオラフ国王が来日。オラフ国王からはノルウェーの勲章を頂きました。

課在職中に10カ国へ
 マルタ共和国のミントフ首相が日本からの輸入をボイコットする事態が起き、打開のため私はマルタを訪問し、同国政府側と交渉しました。マルタは地中海に浮かぶ島国です。水に塩分が含まれていて、ホテルの水道で顔や髪を洗うとベトベトしました。西欧第二課に在職中、各国事情視察と相手国政府との協議や日本大使館との打ち合わせなどでスイスとオーストリアを除く10カ国を訪問しました。

 東京では毎年、欧州駐在の大使が一堂に会して大使会議が開かれていました。この準備やそれぞれの大使のお世話などもしました。83年からの浩宮さまの英国ご修学の準備のため、ご修学先のオックスフォード大学マートン・カレッジとの折衝を、駐英大使館を通じて行いました。

 このころワープロが出回り始め、欧亜局にも初めて設置されました。忙しい毎日でしたが、局の忘年会などで各課が趣向を凝らした余興の出し物が楽しい思い出ですね。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年9月3日号掲載)

=写真=ギリシャ・アテネのパルテノン神殿前で
 
竹元正美さん