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14 中近東第一課 ~中東和平に関わる 情報分析や政策策定

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 西欧第二課に2年余り籍を置いた後、1985(昭和60)年1月、中近東第一課首席事務官に異動しました。同課は中東諸国のうち、湾岸諸国を除くエジプト、イスラエル、トルコ、シリアなど11カ国を所管していました。

 課長は韓国駐在時に広報文化部長だった伊集院明夫氏。通産省、大蔵省、防衛庁からの出向者もいました。第一課はこれら地域に関する外交政策の企画・立案・実施、情報収集・分析が主な仕事で、課員はそれぞれ担当業務がありました。

 通産省からの出向者は村上世彰氏でした。後に村上ファンドとして知られた人です。村上氏はレバノンなどの担当でした。よく一緒に遊びもしましたが、勝負事はめっぽう強かったですね。後日、彼は在南アフリカ大使館勤務になり、私がタイにいた時に遊びに来てくれました。

米のリビア爆撃
 一課での大きな仕事はイスラエルとパレスチナ、アラブ諸国との間の中東和平問題でした。レバノンの内戦で日本大使館にも被害が及び、大使館を一時閉鎖。シリアに避難するなど緊迫した事態も起きました。

 西サハラの領有権を巡る争いもありました。リビアと米国間の対立が深刻になり、86年4月、米国がリビアの最高指導者カダフィ大佐を狙って爆撃。日本は中東諸国との友好関係と米国との関係から、いかなる立場をとるか難しい選択に迫られました。

 この政策決定については国会での質問に備え、擬問擬答(想定問答)の資料を準備しました。その年の5月に東京で開かれた第12回先進国首脳会議(東京サミット)でこの件がとり上げられることが予想され、そのための準備や会議当日は泊まり込みで対応しました。

 中曽根康弘首相や安倍晋太郎外相の中東訪問、金丸信自民党幹事長を団長とするトルコ訪問団などの準備や実施のため忙しい業務がありました。特に日本トルコ友好議員連盟の会長をしていた金丸幹事長のトルコ訪問には、外務省から私が同行しました。金丸氏は当時政界に大きな影響力を持っていたことから幹事長付きの記者たちも同行。成田空港貴賓室には、見送りに来た浜田幸一議員の姿もありましたね。

アンマンの星空
 パリ経由でトルコの首都アンカラ、イスタンブールを訪問。政財界など要人と会談するなどタイトな日程でした。地形がすり鉢状のアンカラは当時、非常に大気が汚染されており、金丸氏は体調を崩し、比較的空気のきれいな大使公邸に移りました。

 私は先方の政府関係者との協議や大使館との打ち合わせのため、エジプト、イスラエル、ヨルダン、シリアを訪問。イスラエルの入出国には、かなりの時間を要しました。同国では大島正太郎臨時代理大使(後の韓国大使)のお宅に宿泊。大学教授と中東和平問題について意見交換し、お祭りを見学しました。

 イスラエルから車で陸路ヨルダンへ向かいましたが、所々に「旧約聖書に出てくる場所はここです」との説明がありました。海面より低い死海のほとりを通過し、モーゼが亡くなったといわれる海抜817メートルのネボ山にも行きました。ヨルダンの首都アンマンの大使公邸で、夕食後に見た星空が見事でした。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年9月10日号掲載)

=写真=中近東第一課時代の私
 
竹元正美さん