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118 龍峡小唄 ~土地の青年の心意気弾ませ~

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龍峡小唄  
白鳥省吾作詞
中山晋平作曲
ハァー
天竜流れて 稲穂はこがね
繭はしろがね お国自慢の天竜峡ョ
ハ ヨイトヨイトヨイトサノ ヤレコノセ

ハァー
伊那の黒土 踏み踏みござれ
川は天竜 山は赤石 見てござれョ

    ◇

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 おはやし〈ヨイトヨイトヨイトサノ ヤレコノセ〉を繰り返し、10番まで続く。水や土、そして風のにおいだろうか。土地に暮らす人の人情の濃さだろうか。初めて耳にしてすぐ、親しみが膨らんだ。

 それもそのはずである。龍峡小唄は1927(昭和2)年、天竜峡が全国投票で「日本新八景」に選ばれたのを契機に、翌年11月、発表にこぎつけた。東京音頭をはじめ、新民謡が大はやりのころだ。

 流行の先頭を走る中山晋平が、作曲を引き受けた。作詞の白鳥省吾は宮城県出身で当時39歳。米国の草の根派詩人ホイットマンに傾倒し、農民の魂を基調とする民衆詩派の代表的存在だ。その手になる詞である。

 けれども、これ以前にもう一つ、貴重な先駆けがあった。自分たちの地域の良さに目を向け、活力を呼び起こそうとする青年たちの試みだ。

 奔走した中に現在の飯田市川路、農家の一人っ子で家業を継いだ牧内武司がいる。後に「下伊那郷土民謡集」「信濃昔話集」などをまとめ、地域文化の再生に尽くした人だ。

 その彼が20代後半に郷土で愛唱される歌を夢見て、12番に及ぶ詞を作った。それを基に白鳥が、仕上げている。おのずと身近な自然への愛着を発散させることにもなる。
岩を伝うて 舟曳(ひ)く人の
唄に合せて 可愛い目白が チロロ鳴くョ

伊那の乙女の たすきの色か
初心(うぶ)な情か 岩間つつじの 色のよさョ

 JR飯田線の天竜峡駅と道路を挟み、観光案内所の天竜峡百年再生館が向き合う。案内人が遊歩道の見どころを説明してくれた。それに従い左岸から右岸へ、時計回りに約2キロのコースを歩く。
 川沿いに奇岩怪石が続々。天竜の川底深く住む竜が、天に昇った際の化身とされる龍角峯は、垂直に高さ70メートル余りに達する一枚岩だ。てっぺんの展望台から真下の谷底をのぞき込み、目がくらんだ。

 急坂を下り、対岸と結ぶつり橋「つつじ橋」を渡りかけた時だ。「船だ!」の声に橋の中ほどへ急ぐと、上流に小舟が見える。何というタイミングの良さか―。前と後ろで船頭がさおを操り、たちまち下流の谷あいに消えた。
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 その速さに流れの急を実感する。橋の上に取り残された寂しさを覚えつつ、今度は舟から見上げようと思った。
(JASRAC 出161‐2233‐601)

〔天竜峡〕全長約213キロの天竜川のほぼ中央に位置する渓谷。そそり立つ岸壁、岩を洗う急流が迫力ある景観を生み、江戸時代から文人墨客を魅了してきた。舟下りが詩情を添える。
(2016年10月22日号掲載)

=写真1=天竜川の渓谷と川下りの舟
=写真2=龍峡小唄の歌碑
 
愛と感動の信濃路詩紀行