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20 昭和天皇 ~紀宮さまへの笑顔 私が最後の拝謁に~

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 天皇陛下は憲法に定められた国事行為を行います。国事行為には内閣総理大臣の任命、法律の公布、栄典の授与などがあり、閣議決定した書類が陛下の手元に来ると、署名、押印されます。

 皇太子さまが陛下の代わりに執務されることがありました。その時には、私は皇居の宮殿にお供し、すずりで墨をするなどのお世話をしました。

 また、皇太子さまが国会の開会式でお言葉を述べられる時に議場までお供。皇居での一般参賀の際には、皇太子さまのすぐ後ろに控えていました。

 皇太子ご夫妻は原則として毎週金曜日に天皇、皇后両陛下と夕食を共にするため、皇居の吹上御所を訪問されました。われわれ東宮侍従は交代でお供しました。

ハレー彗星に関心
 昭和天皇は1961(昭和36)年から吹上御所に住んでおられましたが、御所は質素な建物といった感じでした。宮内庁の課長相当職以上の職員は、陛下との昼食会に出席。それぞれ数分程度、お話しすることになっていました。

 私が以前勤務していたオーストラリアの話をすると、陛下は身を乗り出し、「君はハレー彗星(すいせい)を見たか」とお聞きになりました。私がいた時はハレー彗星が見られる前だったので「見ていません」と答えると、がっかりしたご様子でした。

 陛下は10年5月29日、初等科時代に肉眼で見られ、86年3月18日、静岡県・須崎御用邸屋上から望遠鏡で観察されたそうです。その時のお歌が「晴れわたる暁空に彗星は尾をひきながらあをじろく光る」。ハレー彗星の地球接近は76年周期であり、陛下は2度ご覧になったわけですね。

 陛下が東宮御所に来た折、玄関でちょうど学校から帰ってきた紀宮さまに会われました。陛下が「紀宮が一番忙しいんだね」と言われた時のうれしそうな笑顔を今でも思い出します。

 88年5月19日、赤坂御苑で催された春の園遊会が陛下の最後のものになりました。そして、私と妻が初めて招待された園遊会でもありました。私はモーニングを着用し、妻と共に約2千人の参列者に交じって、軽い飲食や歓談をしました。

東宮侍従を退職
 その年の8月に東宮侍従の任務を終え、外務省に戻りました。東宮侍従を辞める際に、皇太子ご夫妻、浩宮さま、礼宮さま、紀宮さまが送別ランチを催し、礼宮さまから夏用のネクタイをいただきました。また、皇太子ご夫妻が送別のお茶を催してくださいました。

 両陛下は9月8日に静養先の那須の御用邸から帰り、13日に宮殿で私の東宮侍従退職の拝謁を受けられました。陛下から「任務ご苦労であった」とのお言葉を賜りました。

 陛下の体調は依然として思わしくありませんでした。拝謁を終えて宮内庁まで歩いて帰る途中で、宮内記者会のベテラン記者から「ご様子はどうでしたか」との質問を受けました。

 私の退職の拝謁が、陛下が受けた最後の拝謁となり、陛下は6日後の19日に大量吐血。翌年の89年1月7日に崩御され、昭和は64年で幕を閉じました。

 東宮侍従として過ごした2年余りは、外務省にいる時とは違った新しい経験ができました。大変楽しい時でしたね。
(聞き書き・船崎邦洋)

=写真=春の園遊会に妻と参列
 
竹元正美さん