
スキーと温泉で知られる妙高山麓にある国の名勝「旧関山宝蔵院庭園」(新潟県妙高市関山)の復元が進んでいる。関山地域は、妙高山の山岳信仰と善光寺信仰の結びつきが感じられる場所でもある。
北しなの線で県境を越え、妙高高原駅でえちごトキめき鉄道に乗り換え、隣の関山駅へ。西へ国道18号、善光寺に向かう旧北国街道を横切り、徒歩20分ほど。関山宝蔵院跡は関山神社の北側隣接地にある。2013年3月、庭園が国名勝に指定された。

関山神社は地域一番の存在だ。木曽義仲が妙高山頂に奉納したと伝えられる善光寺式の阿弥陀(あみだ)三尊像が安置された妙高堂がある。「妙高」は太平洋戦争時の大型巡洋艦の名前にもなり、社殿前には大砲の弾が鎮座している。毎年7月の「関山神社大祭(火祭り)」には、多くの参拝者が集まる。
宝蔵院跡は京都や奈良の名刹(めいさつ)にそっくりな庭園が築かれていた遺構だ。仏教文化の地方への広がりを表す。
伝承だと、妙高山は和銅元(708)年に開山され、最盛期は山岳修験道場として七堂伽藍(がらん)をはじめ、坊が70余りもあったという。宝蔵院は道場の中核で、関山神社の祭礼を行う別当寺だったと考えられている。
戦国時代に織田信長の軍勢侵攻で、焼き打ちにされて衰退。江戸時代に入り、妙高山など妙高五山に及ぶ朱印地(寺社領)を与えられて復興した宝蔵院は、一帯を支配した。明治時代の神仏分離で廃寺となり、建物は解体された。
表門の石段を登ると、庭園跡がある。正面に5メートルほどの高さの石垣「滝石組(たきいしぐみ)」が築かれている。妙高山からの川水を石樋で導き、石積みから流し落とす豪快な仕組みだ。
滝石組の高さ、滝つぼの平石を見ると、滝口は、霊水に全身を打たれる修行の場だったのではないか―と思わせる。

最も注目したいのは、庭園の景観設計だ。晴れた日、正面から滝を仰ぎ見れば、滝水の落ち口に、妙高山の霊峰がすっぽりと収まって、青空をバックに輝いて見える。
妙高山頂はぎざぎざに見える。それを阿弥陀三尊に見立て、一つの光背に本尊と勢至菩薩(ぼさつ)、観音菩薩が並ぶ発想は、善光寺信仰そのものだ。巧妙なアイデアに感心させられる。
5年がかりの修復整備事業が始まり、まず10月に、滝石組の修復が完了した。さらに両側斜面の石組み復元などを進める計画で、完成すればだれもが感嘆する名勝になるだろう。
(2016年11月26日号掲載)
=写真1=庭園の奥にある「滝石組」
=写真2=関山神社本殿