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58 黒部峡谷 下ノ廊下 ~崖を伝い秘境の奔流に感激~

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 念願の黒部峡谷下(しも)ノ廊下を、10月中旬に2日がかりで踏破した。「魔の谷」ともいわれるこの峡谷は、黒部ダムの上流部を上(かみ)ノ廊下、下流部を下ノ廊下と呼ぶ。切り立った断崖に刻まれた道筋はスリルと迫力に満ちていた。

 ベテランの山仲間2人と、北陸新幹線で長野駅から黒部宇奈月温泉駅へ。富山地方鉄道に乗り換え、宇奈月駅から黒部峡谷鉄道のトロッコ電車で終点の欅(けやき)平駅に。下ノ廊下はここから黒部ダムまで約30キロの道のりだ。

 ヘルメットをかぶり、重いザックを背負って10時前に出発。
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いきなり標高差200メートルほどの急登が始まる。登り詰めた展望台からは、雪化粧した唐松岳や不帰(かえらず)の峰が望めた。

 その先から、岩壁を「コ」の字型に開削した「水平歩道」を進む=写真下。道幅は1メートルほど確保されているが、谷底を見ると、目がくらむような高さだ。道幅が足りない場所には、針金で丸太を組んだ桟道(さんどう)が架けられている。岩壁に張られた太い針金の手すりが命綱だ。

 送電線鉄塔下の平地で昼食。目の前に奥鐘山の大岩壁がそびえる。

 崖道は沢があるたびに大きく回り込む。渡れない沢は、崖の中にうがたれた真っ暗なトンネルを、ヘッドライトで照らしながら進む。足元は水浸しだ。

 途中、岩や木に何度も頭をぶつける。やはり、ヘルメットは必需品だ。谷沿いに進めない地点は、長い木のはしごを上り下りする。

 やがて下方に今夜の宿泊地、阿曽原温泉小屋とカラフルなテント場が。小屋に着くと、近くの露天風呂へ。20人ほどで満員の湯船に漬かる。すぐそばの高熱隧道(ずいどう)から熱湯の蒸気が噴き出している。

 20時過ぎに就寝。下ノ廊下は雪解けと新雪の間の約2カ月間しか歩けないため、この時期に入山者が集中する。平日でも、ふとん1組に2人で寝ることに。

 翌朝は5時前に出発。真っ暗な中をヘッドライトの明かりを頼りに、岩ゴロ道を上って下る。

 下り切った所には、山奥というのに鉄筋コンクリート5階建ての関西電力の宿舎が。その脇からトンネルに入り、仙人谷ダムの上を歩いて対岸に渡る。

 間もなく東谷のつり橋が見えてきた。高さも長さも数10メートルはある。足元には板を2枚敷いてあるだけ。1人ずつ、下を見ないようにして渡り切る。

 6時を過ぎると、山の頂に朝日が当たり、黄金色に輝く。仙人谷ダムから上流は「旧日電歩道」と呼ばれ、再び岩壁をえぐった道を進む。旧日本電力が黒部川の電源開発のために開いた。今は関西電力が管理している。

 程なく眼下の黒部川が蛇行する「S字峡」に。さらに進むと、下ノ廊下のハイライト「十字峡」へ。黒部川の本流に西から剣沢(つるぎさわ)、東から棒小屋沢が直角に注ぐ。青い水が交差し、神秘的な景観だ。
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 谷沿いの道を進み、滝のシャワーを突破して「白竜峡」へ。荒々しい岩に囲まれて川幅が急に狭まり、対岸から滝が流れ落ちている。

 崖道歩きで困るのは、下ってくる入山者とのすれ違いだ。針金にすがりついて進むような場所では、岩壁にへばりつく相手を抱くようにして交わす。

大きな岩が転がる黒部別山谷の河原で休憩。ここは最後まで雪が消えない場所というが、さすがにこの時期に残雪はない。

 さらに長い道のりを黙々と歩く。黒部川の河原で昼食を取った後、内蔵助(くらのすけ)谷を越えて回り込むと、目指す黒部ダムが見えてきた。

 ダム直下の仮橋を渡る。足元には、大量の水が轟音(ごうおん)を立てて流れ下る。重い足を引きずりながら上部へ。16時半過ぎにやっと黒部ダム駅に到着。この日、歩数計は3万3千歩だった。
(2016年11月5日号掲載)

=写真=荒々しい岩が迫る「白竜峡」
 
中高年の山ある記