
北信濃の拠点・中野市。今は国道292号沿いに大型店が立ち並んでいるが、元の市街地はそれより南の一帯にある。江戸時代、幕府領(天領)を治める中野陣屋(代官所)を核に形づくられた町だ。
長野電鉄で長野駅から信州中野駅へ、各駅停車で約50分。須坂、小布施を過ぎると、進行方向に高社山が見えてくる。線路は旧市街地を迂回(うかい)するように半円形にカーブしていて、その中心が陣屋のあった中町だ。

この地域は1598年に上杉景勝が会津へ転封されて以降、領主が目まぐるしく変わった後、多くが幕府領となった。周辺にいくつかあった陣屋は、1724年に中野陣屋に統合され、北信濃の政治経済の中心になった。
明治維新で、信濃の天領はいったん伊那県に。2年後の1870年9月、東北信地方の15万4千石が中野県に分かれ、旧陣屋に県庁が置かれた。
その年の12月、年貢引き下げなどを要求する農民が蜂起。北信全域の名主や商家など600戸を打ち壊した。中野騒動だ。県吏も殺害され、県庁舎も焼失。翌71年7月、県庁は長野町(現長野市)の西方寺に移され、長野県になった。中野県は11カ月で消滅した。
今、「中野陣屋・県庁記念館」として残る建物は、1936(昭和11)年、県庁跡に中野町役場として建てられた。こうした歴史を紹介する展示室と、ギャラリーや喫茶店がある。
記念館周辺の道路は石畳敷きの「歴史の小径(こみち)」。たどって歩くと、近くに中野陣屋から払い下げられたとされる山門がある鈴泉寺、創作土人形工房「まちなか交流の家」などがある。
中野では江戸時代から土人形が作られ、現在も奈良家と西原家の2軒が、ひなびた味わいの人形作りを続けている。「交流の家」では、その場で土人形の絵付け体験ができる。

近くの表通りは、統一感を持って整備された街並みがきれいだ。書店やブティックなどに交じり、「甘太郎焼き」の店も。ほっくり甘い大判焼きで、あんことクリームの2種類が売られている。一帯では来年1月6日(金)まで、陣屋前広場を中心に夜間のイルミネーションイベントも行われている。
かつて、長電信州中野駅から木島線が分かれていた。終点木島まで約13キロ。2002年の廃止から15年近くがたつ。12年には屋代線もなくなり、長電の路線は1本だけになってしまった。駅の北にある県道の踏切に立つと、雑草に覆われたレールがすぐ先で途切れていた。
(竹内大介)
=写真=木島線レールが残る信州中野駅近くの踏切(上)/県史跡の中野陣屋・県庁記念館(下)