
海藻を煮て溶かし、弁当箱で固めた「エゴ」は、北信や中信地方の一部で親しまれているごちそうだ。「エゴ練り」と呼ぶ家もある。紅藻類の一種「エゴ草」が原料で、舌触りが残り、海の香が口中に広がる。酢みそか、からし醤油(しょうゆ)でシンプルに食べる。
飯山から新潟県境にかけての地域、長野市西部中山間地の西山地方、安曇野の冠婚葬祭でよく出る。好き嫌いはそれぞれだが、正月や祭りといったハレの日の脇役だ。
「九州の福岡県で朝食の定番になっている『オキュート』がルーツで、日本海から信州に来た渡来人のルートを示唆する食文化」。こう注目する歴史研究者が少なくない。北部信州人の祖先は福岡近辺から北上、信濃川、千曲川を上がってきた海洋族だったとの見方だ。
エゴ食が残る安曇野も、海洋族の安曇一族が姫川を遡上(そじょう)してきた地域ともされる。職能集団・海人部(あまべ)を率いて朝廷に仕えた古代豪族だと、日本書紀は記す。穂高神社の豪快な「お舟祭り」が海洋族との関連を推測させる。
新潟県妙高市で11月に開かれた地方史研究協議会大会で、関心を集めた報告があった。九州から東北まで視野を広げ、エゴの生産から流通、エゴ食の分布図を示した同県立歴史博物館主任研究員の大楽(だいらく)和正さんの報告だ。

それによれば、上・中・下越、佐渡まで、新潟県では全県的にエゴ料理が広がり、多様だ。「味付けエゴ」はだし、酒、塩、砂糖を使い、クルミ、ゴマ、ピーナツなどをふりかける。格段に手が込んでいる。
飯山を中心としたエゴ食地域は、エゴが県境の関田山脈を越えて新潟側から運ばれてきたと考えれば、分かりやすい。
同じ北信地方でも、エゴを食べるかどうかに濃淡があるのは、行商人の売り方が反映している。南に進むうちに売り切れてしまう。だから、飯山市南部や小布施などではエゴを食べる習慣が薄いのだという。
エゴ食が海岸端より内陸部に広がったのは、飢饉(ききん)の時、農民の救荒食となったと推測できる。漁民は雑魚や貝でしのぎ、海の雑草までは食べなかったのだろう。
古今東西の食文化は、非常に保守的だといわれる。中東や欧州は、パン食に羊などの肉類が基本。日本は、仏教と島国という環境下で穀類と魚類・海藻の健康食。海外で和食が人気になっている背景にある。限定的なエゴ食が、日本海側の地域文化を考察する一つの指標になるとの研究はとても興味深い。
(2016年12月24日号掲載)
=写真1=飯山や西山で親しまれるエゴ
=写真2=報告する大楽和正さん