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27 ホンジュラス大使 ~紀宮さま訪問が実現 歓迎の曲作りを提案~

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 2001(平成13)年6月12日、宮殿松の間でホンジュラス大使の認証式に臨みました。21日には宮殿竹の間で拝謁(はいえつ)、引き続き夫婦で引見。この後、小泉純一郎首相や綿貫民輔衆院議長(日本ホンジュラス友好議員連盟会長)など、各方面へのあいさつを終えて、7月に空路、首都テグシガルパに着きました。8月1日にフローレス大統領に信任状を渡し、正式に大使としての活動が始まりました。

 ホンジュラスは中米のほぼ真ん中に位置し、北はカリブ海、南は太平洋に面しています。面積は日本の3分の1ほど、人口は約800万人で混血が91%。公用語はスペイン語です。

最大限の報道で
 マヤ文明のコパン遺跡やカリブ海の島々など、観光資源に恵まれています。コーヒー、バナナ、養殖エビ、繊維製品などを輸出。かつては世界最大のバナナ輸出国だったとか。民族紛争や宗教紛争もなく、国民は勤勉。雪が降らず、一年中耕作できます。

 大使着任の年の9月末に、紀宮さまのホンジュラス訪問が予定されていました。私は着任早々受け入れ準備を行い、9月上旬にはほぼ準備が整っていました。そこに米国で9・11同時多発テロが起きて、紀宮さまの訪問は延期になってしまいました。

 ご訪問は2年後の03年11月に実現しました。日本の皇族のホンジュラス訪問は初めてとあって、同国は国賓待遇で歓迎しました。

 マスコミも最大限の報道ぶりで、新聞の数ページは紀宮さまに関する記事と写真で埋め尽くされていました。駐日大使を務めたキニョーネスさんが外務次官でホンジュラス側のカウンターパート(応対相手)として準備を進めました。

 紀宮さまはコパン遺跡を訪問し、植樹をされました。また、中米最初のプラネタリウムを視察、上水道施設の引き渡し式、八つの橋が完成した記念切手の発行式にご臨席。この三つはいずれも日本の援助でできたものでした。さらに、大統領や市長などが主催する昼食会や夕食会、福祉施設訪問、在留邦人の引見などを精力的にこなされました。

 国立音楽学校で開かれた歓迎のコンサートで、私は同校に、紀宮さまにささげる曲の作曲と演奏を提案。同校の教授が作詞作曲し、オーケストラの演奏をバックに2人の声楽家がスペイン語と日本語で歌いました。

プロ参加でCD制作
 帰国後の05年6月、フルートアンサンブル「ロフェリー・フラウテ」とプロの音楽家が参加してこの曲のCDを作り、天皇陛下や紀宮さまに差し上げました。この年に紀宮さまは結婚され、ご成婚の時にラジオでこの曲が流れました。

 紀宮さまのご訪問は、両国の友好親善関係の増進にとって大変有意義なものになりました。

 01年11月に行われた大統領選挙で、清新なイメージを持った国民党のリカルド・マドゥーロ候補が勝利しました。

 翌年1月の大統領就任式には、日本政府を代表して自民党の清水嘉与子参院議員が参列。テグシガルパでの就任式の後、ヘリコプターでコパン遺跡に移動しました。遺跡はライトアップされ、幻想的な雰囲気の中で夕食会が開かれました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年12月10日号掲載)

=写真=ホンジュラスの空港で紀宮さまをお見送り(左が私)
 
竹元正美さん