記事カテゴリ:

28 日本の支援 ~「G15」の議長務める 文化交流もさまざま~

1217-02ayumi.jpg
 日本はホンジュラスに対する主要な援助国の一つとして経済・技術協力を行っています。

 1998(平成10)年10月、ハリケーン・ミッチで未曽有の災害に見舞われた時、日本は国際緊急援助隊として、初めて自衛隊の医療部隊を派遣し、診療と防疫を行いました。ホンジュラスはこの支援に感謝し、旧市街の通りを「日本通り」と名付けました。

 ハリケーンで流された主要な八つの橋が日本の援助で完成。この橋をデザインした記念切手の発行式が紀宮さまご臨席の下、全国会議員出席の議会で行われ、私はこの発行式であいさつしました。

毎週のように君が代
 ハリケーン・ミッチ災害の後、首都テグシガルパで再建と変革のための援助国・国際機関間のグループ「G15」が結成され、活発に活動しました。私は2002年4月から9カ月間にわたり議長を務め、毎月の会合、政府間の協議、マスコミ対応などを取り仕切りました。

 世界中で活躍する日本の青年海外協力隊は、隊員派遣の累計数でホンジュラスが中南米トップです。隊員たちは、年に数回に分けて離着任しますが、その際、大使公邸に招いて皆さんの話を聞きました。また、シニアボランティアの人たちも同様に各地で活躍していました。

 ホンジュラスの地方の村には、電気がないところがありました。そこで、日本大使館が各地に電気を通す援助をしました。その引き渡し式に大勢の村の子どもたちが集まりました。子どもたちは協力隊員による電子ピアノやフルートの演奏を、目を丸くして聴いていました。おそらく楽器の生演奏を聴くのは初めてだったのでしょう。

 日本の協力は橋の建設、上水道の整備、病院建設、機材供与などのほか、救急車や消防車の供与、学校給食のための食糧支援などさまざまです。毎週のように署名式や引き渡し式があり、そのたびに両国の国歌が歌われました。「君が代」の回数は、日本で数十年間聞いた回数より、ホンジュラスの方がはるかに多かったですね。

 さまざまな文化交流も行いました。日本人の演奏家によるピアノやフルート、ハープ、ギターなどのコンサート、市川亀治郎さん(現、四代目市川猿之助さん)の歌舞伎などです。

歓送コンサートも
 ホンジュラスで最も尊敬されているロドリゲス枢機卿は、サックス奏者でもあり、大使公邸で演奏したことがあります。大統領一家も来てくれました。その後、同枢機卿は新ローマ法王の有力候補になりました。

 青少年の音楽教育のため、日本大使館主催で音楽コンクールを開きました。2年目には大変上達したのが分かりました。大使の任務を終え帰国する前に、入賞者を中心に歓送コンサートを開いてくれました。

 日本はホンジュラスの誇るコパン遺跡の発掘・保存などでも協力しました。考古学者の中村誠一氏の活躍をたたえ、大使表彰を行いました。

 中米初のプラネタリウムが日本の援助ででき、開館式に向井千秋宇宙飛行士に来てもらいました。向井さんは3回講演。各地で大歓迎を受け、大統領から勲章を受章しました。(聞き書き・船崎邦洋)
(2016年12月17日号掲載)

=写真=ロドリゲス枢機卿(右)と演奏する私(左)=大使公邸で
 
竹元正美さん