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092 プラハを巡る スメタナ ~「わが祖国」に国民の思い~

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 スメタナ(1824~84年)の曲に強く引かれたのは、東信の高校に赴任していた時。そこでの合唱コンクールだった。全校およそ30クラスの課題曲がスメタナの「モルダウ」であった。チェコ人にとって、この曲がどれほど重要かを知ったのはつい最近である。

 「モルダウ」は全6曲で構成される「わが祖国」の一つ。(1)高い城(2)モルダウ(3)シャールカ(4)ボヘミアの森と平原より⑤ターボル⑥ブラニーク―の6曲である。

 オーストリアのハプスブルグ家に支配された17~18世紀を、専門家は「暗黒時代(チェノム)」と呼ぶ。ドイツ語が強要され、フス派は排斥され、貴族や商人も国外に亡命した人も多い。チェコ語は農民だけの言葉になった。

 18~19世紀、国民が政治にも文化的にも目覚めていく中で、スメタナは育った。若くしてピアニストとして注目された彼は、スウェーデンで聖歌隊指揮者や作曲家としても始動。祖国に自由主義の機運が高まるとともに、オペラの作曲で人気を得た。

 モルダウは、ブルタバのドイツ語名称で、チェコ人は「ブルタバ」と呼称してやまない。ブルタバ川は、南から北上してプラハ市内をゆったりと流れ、ドイツでエルベ川と合流して北海に続く国際河川だ。

 川沿いにあるスメタナ博物館には、交友の深かったドイツの作曲家リストとの書簡も展示されている。

 組曲「わが祖国」の最後になる「ターボル」と「ブラニーク」は、フス派の兵士が作った曲を編曲。最終章は、敗れたフス派の兵士たちが山に隠れて、助けを待つという設定だ。

 19世紀半ば、スメタナは、学校や行政でのチェコ語使用や自由を求めて起きた市民運動に参加。関係する行進曲も作曲している。
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写真家の父とウクライナから移り住み、その写真を週末に、ブルタバ川に架かるカレル橋で売るアンドレ君(32)。「最初はどこにでもある大河としか思わなかった。でも、目の前のスメタナ像や『わが祖国』を聴くチェコ国民を見て、この川は民族の結束や誇りの象徴なのだと気付かされた」

 この曲はまた、フス戦争で敗れたフス派への賛歌でもある。ソ連侵攻の翌年にプラハを訪れた指揮者の岩城宏之さんも、
「わが祖国」の演奏に2千人の聴衆から聞こえたすすり泣きに、「そのような曲を持つチェコの国民をうらやましいと思った」と述懐している。
(2017年1月28日号掲載)

=写真=ブルタバ川沿いのスメタナ像(後ろはカレル橋)
 
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