
小学生を対象にした将来就きたい職業のランキングで、トップのスポーツ選手に次いで、2番目に研究者が入っているのを見かけました。子どもたちは研究者にどんなイメージを持っているのか。日本人のノーベル賞受賞が、テレビのニュースを沸かせている影響もあるのかも知れません。学者や博士が具体的にどんな実務をしていて、それにはどんな意味があるのか。子どもだけでなく、大人であってもほとんどが知らない世界です。
私は3年前に、国立歴史民俗博物館(歴博)と総合研究大学院大学(総研大)を定年退職して名誉教授を拝命しました。その後生まれ育った西和田の自宅で、研究活動などを続けながら過ごしています。それまでは、歴史学の研究者、あるいは大学院生に向けた指導をしてきました。一般的な大学教授の学者生活とは、極めて異質なものです。
大学の先生は学問の世界の通説を学生に教えることが中心ですが、私の場合は博士課程の教育、いわば大学の教壇で教える日本史学者の育成が主な仕事でした。
第二に、学問としての歴史学の先端分野をひらき、研究者と院生に向けての学術専門研究書を刊行。第三に、他大学の、大学院生の論文指導や博士論文の審査に当たってきました。
私が取り組んできた研究は、中世の暮らしを支えた借金事情です。中世史料から債務契約の実態を探り、債務と返済の原理の歴史を考えようとする研究で、それまで歴史学の世界にはなかった「債務史」という研究分野をつくりだしました。現代の日本の民法は、債務者は破産しても返済すべきだという考え方だけれど、命に代えても債務を弁償しなさいという信用経済は人間的ではない。中世の社会には、債権者と債務者両者を保護する原理が機能していました。
一昨年出した学術研究書について、東大教授の桜井英治先生は書評で「債務史という野心的なカテゴリーを提唱し、また貨幣史や生業史など、次々と新しい分野に挑んで若手研究者と熱い議論を戦わせている井原今朝男氏の若々しい活躍ぶりをみて刺激をうけぬ者はなかろう」と書いてくださいました。
大学共同利用機関の歴博は1983年に、博士課程の教育を行う総研大は88年に創立されました。まだ歴史が浅いことから、一般の大学の先生でも知らない人が多い。一般的になじみがない歴博と総研大の教授職の経験とともに、大学での教育と研究の現状などを、自分の歩みを振り返りながら、みなさんにお伝えできれば―と、思います。
(聞き書き・中村英美)
(2017年2月18日号掲載)
井原今朝男さんの主な歩み
1949 昭和24 西和田に生まれる
1967 42 長野高校卒業、静岡大学人文学部人文学科入学
1971 46 県公立学校教員 中野実業高校教諭
1973 48 旧姓久保弘子(伊勢市)と結婚
1978 53 屋代南高校教諭
1979 54 東京大学史料編纂所内地研究員
1982 57 県史刊行会編纂委員(通史)に委嘱(1991年まで)
1987 62 須坂高校教諭
1988 63 県立歴史館展示等研究会委員に委嘱
1991 平成 3 県教委事務局指導主事(県立歴史館準備室、1994年まで)、市誌編纂委員会委員に委嘱(2004年まで)
1992 4 国立歴史民俗博物館博物館史料調査委員に委嘱
1994 6 県立歴史館専門主事(1998年まで)
1996 8 中央大学大学院 博士(史学)学位取得
1998 10 国立歴史民俗博物館歴史研究部教授
1999 11 総合研究大学院大学文化科学研究科教授併任
2001 13 信大学長より信大特別研究員第二段階審査員に委嘱
2003 15 国学院大学大学院文学研究科博士論文審査員委嘱
2006 18 同館研究総主幹に併任(2007年まで)
2009 21 東大大学院人文社会系研究科博士論文審査員に委嘱、日本学術振興会特別研究員等専門委員及び国際事業委員会書面審査員に委嘱(2010年まで)
2013 25 県文化財保護審議会長(2016年まで)
2014 26 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構国立歴史民俗博物館、総合研究大学院大学を定年退職
=写真=長野市西和田の自宅で