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04 高校時代 ~教育や社会問題考え 理系志望から文系へ~

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 長野高校時代はいろいろなことをやっていて、書家の小出聖水先生の書道部と、弁論部兼地域社会研究会(地域社研)に入っていました。

 地域社研では、当時起きていた長野市の大合併問題の調査をしました。弁論部では2年生の時に、かつて発行していた「エターナル」という雑誌を復刊。当時、長野市長だった倉島至さんや学校長の花岡直一さんらが弁論部員だったころの記事を集めて、復刊第1号を作りました。

 弁論部と地域社研をやっている生徒会の部屋に「村上国治を救う会」という落書きがありました。戦後共産党に対する弾圧事件で、無実の共産党員(村上)が武力闘争を起こしたとでっち上げられた白鳥事件の被告人でした。

多様性の面白さ
 無実の人が牢(ろう)獄に入れられる非人間的な社会問題がこの世の中に存在しているのだということを初めて知り、大きなショックを受けました。

 学校の成績は、好きな数学だけはよかった。今も忘れませんが、試験で14点を取って、学年480人くらいの中で10何番でした。ほとんどが零点で、2、3点取れれば御の字。数学の先生が出す難しい問題を一つでも解いて少しでも点数を取るというのが仲間との競争でした。

 算数の答えは大勢で解いても一つの答えになるが、高校に入ってからの微分や積分、数列は、与条件によって正解が変化していきます。答えが一つではないというのが面白くて、多様性の世界があることを教わりました。

 このころ、東町の内科医、金子正矩先生にお世話になっていました。そこは私の悩みごとのよろず相談所でもありました。

 高等数学と社会問題への関心がセットになって迷っている時期に、金子先生のところへ行くと、西田幾多郎の哲学であったり、これからの社会では石油化学が重要で、それが経済活動を引っ張っていくことだったりを教えてくれて、いろいろな本を紹介してくれました。

 高校時代は、将来の進路で悩んだ時期でした。最初は理数系を希望して大阪大学の応用化学に進みたいと思っていましたが、3年生になって文系へ転向。今はありませんが、東京教育大学へと志望校を変えました。これが私の転機となります。

先生たちと討論
 私たちが3年生の時に、先生たちが組合運動で給料アップとベトナム戦争反対でストライキを計画。生徒会はストに反対して、先生たちと夜遅くまで何日も討論をしました。

 組合の先生たちは、夜遅くなると、生徒を送ってくれて、自転車を押して歩きながら話をしたりして。よく面倒を見てくれました。その時、世の中を変えるのはやっぱり教育ではないか、応用化学よりも、人間の生徒の教育や社会問題を考えることの方が重要ではないかと思い、進路を変えました。

 その後、さまざまな社会問題に目覚め、3年生の11月を過ぎてから文系に志望を変えました。当時の試験は5教科7科目だったので、文系、理系どちらかに有利ということはありませんでした。結果的に一期校を落ちて、二期校で当時新制大学と言われた静岡大学人文学部に入学することになりました。
(聞き書き・中村英美)
(2017年3月11日号掲載)

=写真=1960年代、一帯が農地だったころの西和田で、弟と私(前)