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097 プラハを巡る ビラー・ホラ ~路面電車で戦いの跡地へ~

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 チェコの首都プラハ市内を縦横に走る路面電車を、2週間の滞在中、毎日乗った。運賃は安く、外の景色も楽しめる。特に頻繁に利用したのは、東西の隅から隅へ、40もの停留所を経て乗客を運ぶ22番の路線だ。

 名所が集中する市街中心地を背にして郊外へ。私の前に座った幼い娘が急に「ビラ~ ホラ~」とソプラノで独り言ののように歌い出し、西の終点「ビラー・ホラ」(白い山)へ到着した。世界史に登場する「ビラー・ホラの戦い(1620年)」の舞台。「川中島の戦い」の跡地・八幡原のような所だ。

 戦いは2回にわたった。ハプスブルク王に地元住民らが反発し、王の使者をプラハ城旧王宮の窓から投げ落とした事件が発端だ。これをプロテスタントの反乱と判断した帝国とカトリックが弾圧に乗り出した。少数派のプロテスタント貴族側がビラー・ホラで応戦したものの、わずか半日で壊滅させられた。プロテスタント側の貴族や騎士、市長、市議など27人が処刑された。

 その跡は、旧市街広場に白い十字架として残されている。これを機に、地元のプロテスタントにとっては屈辱の歴史が続いた。地元の作曲家アントニン・ドボルザーク(1841~1904年)はカンタータ「賛歌―白山の後継者たち」を作曲した。

 路面電車の終点に着くと、住宅街。右手の奥にガランとして空き地が見える。「もしや」と思ってあぜ道を進むと、石碑があった。花文字で読めないので、男の子2人を連れた父親に、何と書いてあるのかを尋ねると、「ビラー・ホラの戦いの記念碑だよ」との答え。思いがけずあっさり見つかった。

 停留所に戻る途中で、ウオーキングをする地元の中年女性と出会った。長野から来たと伝えたところ、長野が1998年冬季五輪の開催地だったことを知っていた。「チェコでは、『日本』よりも『長野』の方が有名よ」とも言う。

 その訳は、チェコで最も人気のあるスポーツがアイスホッケーであることだった。それまで宿敵ロシアに負けてばかりいたが、長野五輪で初めて、決勝でロシアに勝って金メダルを獲得したからだ。

 「プラハ市内には、居酒屋など、NAGANOという名前の店が2、3軒あるの」と教えてくれた。そして女性は「わざわざビラー・ホラに来てくれてありがとう」と。

 ちなみに、ビラー・ホラは、かつて領主が鉱山を発掘したところ、幾つもの白い大きな石が出てきたことから名付けられたのだという。山に雪が積もり白くなるからだろうという私の推察は外れていた。
(2017年3月25日号掲載)

=写真=住宅街の奥にあった「ビラー・ホラの戦い」の記念碑
 
ヨーロッパ美の旅