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008 蚕は家族〈2〉命の躍動~懸命に生きる姿に共感し~

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桑くれ

 小県郡傍陽小5年
    堀内知加子
おれとかあちゃんとばあやんで
かいこにくわをくれた
まだくれない方のかいこが
あたまを上げて
くわをたべたそうにあたまをふっている
もらったかいこは
くわのぼうのうえへはいあがって
くわのある方へある方へとすゝんで
くわをたべている
 
    ◇

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 観察眼が鋭い。桑を食べる蚕の動きが、目に映るように生き生きと伝わる。実際に体験してこその描写力だ。

 信濃教育会出版部昭和30年刊の復刊本「信濃子供詩集」(一草舎)に掲載されている。当時は女の子でも、自分を「おれ」と称することがあった。

 小学生と母親、祖母の女性3代が力を合わせ、給桑に励む。ぐんぐん育つ蚕の生命力、躍動感が脈打っている。

かあちゃんが
こんな小さい黒いようなものが
あんなにでっかいまゆになるなんてたまげる
といった
くわをくれてから耳をすますと
全部が口をうごかして
がっしょうしているように
もりもり音をたててたべてた

 蚕は卵(蚕種)から幼虫、さなぎ、成虫というように、時期に応じて姿を変えていく。いわゆる完全変態する昆虫だ。このうち幼虫でいる期間が25日前後。ひたすら桑を食べ続け、体を大きくする。

 〈こんな小さい黒いようなもの〉。桑を蚕に与えながら、お母さんが感心する。
 確かに、卵から出た直後の幼虫は、体全体が黒っぽい。小さなアリに見えるので「蟻蚕(ぎさん)」とも呼ばれる。体いっぱいに毛が生えており、「毛蚕(けご)」とも言われる。およそ1日で黒い色は消えていき、毛も目立たなくなる。

 長野市街地の北外れ、頂上に無線塔を遠望する三登山(923メートル)のふもと、若槻東条に蚊里田(かりた)八幡宮がある。早朝や夕方、近在の人たちの散歩コースとして親しまれている。緩やかな斜面を上り下りでき、足腰を鍛えるにふさわしいからだ。

 ヒガンバナの赤く燃える9月下旬、真っすぐに延びる参道を上っていくと、傍らの水路わきに一固まり、緑鮮やかな葉が目立つ。よく見れば桑の木だ。

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 後日、あらためて1982年発行の「若槻史」を開くと、養蚕絶頂期の21(大正10)年ごろ、若槻村の専業・兼業農家630戸のうち440戸が蚕を飼っている。今ほとんどが住宅地となった一帯は、どこもかしこも桑畑だった。

 少し探せば、蚕糸王国の名残があちこちで見つかる。散策の楽しみが加わり、違う景色が広がってきた。

一口メモ 〔蚕の脱皮〕
 蚕は幼虫の間に4回脱皮する。卵からふ化して1回目の脱皮までを1齢、2回目までを2齢と呼ぶ。以下、脱皮から脱皮まで順次3齢、4齢と数えていく。


写真上=親子で桑くれ
写真下=[蚕飼いの里は今] 長野市若槻東条

 【写真上】 農山漁村文化協会発行「ふるさとを見直す絵本(3) おかいこさま むかしの『蚕飼い』 文・飯田中央農協広報課 絵・肥後耕寿」=1986年改装第1刷から