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10 県内外の調査 ~草鞋史学で現地踏査 全国の古文書調べる~

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 長野県史編纂(へんさん)の現地踏査活動は、戦前の信濃史学会の研究者・栗岩英治先生の「草鞋(わらじ)史学」の伝統を受け継いだものです。実際に現地を歩いて、地名や地割、土地に刻まれた歴史などを総合的地域史研究によって明らかにする方法論です。

 1982年から始まり、「長野県史・通史編中世1」が刊行された86年まで続きました。

 県内では、新潟県境の志久見郷、佐久の伴野荘、安曇の小谷(おおな)荘、木曽の小木曽荘、静岡県境の伊賀良荘、遠州秋葉道の鹿塩・大河原郷など、平安鎌倉時代の公領、荘園があった全ての市町村で、42カ所の現地調査をしました。

市河文書で山形県へ
 いずれも辺境の地域ですが、そういう場所ほど、古い地名や地割、伝承などがきちんと残っていて、現地調査で地域の歴史像が復元できました。

 当時は各地で合併や土地改良の圃(ほ)場整備事業が行われ、地割や地名がどんどん消えていったため、私たちは整備前の図面や地籍図、地字図などを一生懸命集めました。戦前の郡誌や市町村史に関わった信濃教育会のOBが各地におられ、郷土の地誌や伝承、文化財などの情報をたくさん持っていました。

 それらを集約して県史編纂に役立てることが、私の役割でした。信濃史学会は全国に向けて、「土地に刻まれた歴史が大事だ」とアピールする取り組みをして、高い関心を呼び覚ましました。

 もう一つ、県外史料の古文書調査を行いました。長野県の歴史といっても関係史料は全国に分布していました。

 全国調査では、東京大学史料編纂所の島津家文書や小笠原文書、神奈川県の金沢文庫文書、京都陽明文庫の近衛家文書、鹿児島県の島津荘現地調査など、各地で古文書や書籍、典籍類の原本を調べました。

 特に印象深いのは、山形県酒田市の調査でした。北信濃志久見郷の地頭だった市河氏が、平安から戦国時代にわたって残した膨大な史料で知られる「市河文書」を調べるため、酒田市の本間美術館に行きました。

 市河文書は中世の地方土着の小領主の実態や信濃の出来事などを知ることができる重要文化財指定の貴重な史料です。市河氏は、北信濃から上杉の家臣となって米沢へ移り、明治維新で武士から平民となると、北海道開拓に動員されて釧路の開発に行き、そこで困窮して市河文書を売りに出しました。

廃棄原稿が腰まで
 しかし、これだけの文書となると、莫大(ばくだい)な金持ちでなければ買えません。「一千町歩地主」とも呼ばれ、日本中の地主のトップであった酒田の「本間様」の所蔵となったのです。

 これらの調査結果を整理してまとめ、県史の歴史像として叙述する原稿をつくり、宝月圭吾先生に審査してもらいました。県史刊行会の代表であった宝月先生は東大名誉教授で、中世史の碩学(せきがく)と言われました。私が原稿の典拠史料を説明すると、先生は「他人に分かる文章でつくりなさい」。「自分の足と目で確認したこと以外は書くな」と指導してくれました。

 叱られながら、何度も何度も書き直しました。廃棄した原稿用紙が、腰の高さまで積み上がったことを覚えています。県史編纂は、30歳代の修業時代だったといえます。
(聞き書き・中村英美)
(2017年4月22日号掲載)

平安時代の住居跡を調べる私=松本市内で
 
井原今朝男さん