
妙高高原駅(新潟県妙高市)でしなの鉄道からえちごトキめき鉄道に乗り換え、40分余の高田駅(同上越市)。城下町と桜の名所として知られる町だ。4月1日からの「高田城百万人観桜会」開幕前、町を歩いてみた。
高田駅から東に向かうと、すぐに雁木(がんぎ)のある通りと交差した。南北に5本の通りがあり、一部はアーケードになっている。雁木の通りを南下して、町並みを眺めてみた。
積雪が3メートルを超すこともある町で、雁木は通り道を確保するため、江戸時代初期から造られたという。間口の狭い家から屋根が突き出し、ずらっと並ぶ光景は壮観だが、雁木に覆われた軒下の通路はそれぞれの家の私有地だ。現在、高田地域で総延長約16キロもあると聞く。

高田の歴史は比較的新しい。江戸幕府が1614(慶長19)年、天下普請として譜代、外様合わせ13の大名に高田城築城を命じ、家康の6男忠輝(ただてる)が入封。併せて町を造成し、高田藩が成立した。敵の進攻に備え、各所にかぎ形の道や、ずれて交わる交差点を配置し、今もそのまま残っている。
東に折れ、大通りをしばらく歩くと、広い池が道の両側に現れた。高田城の外堀で、元は東を流れる関川の蛇行筋を生かした。築城当時、南堀は幅が最大151メートルもあったという。
明治初期の廃藩置県で廃城となり、高田の町はいったん衰えたが、1908(明治41)年に旧陸軍第13師団が配備され、町の人口が増え、活気が戻った。城跡や周辺に軍施設が造成された。二の丸と三の丸の土塁は崩され、堀も一部埋められ形が変わった。現在は運動場、博物館などの公共施設があり、土塁の一部が残るだけだ。
公園に入ると、辺りには桜の木が広がる。城の周辺を合わせれば約4千本に上るという。同師団配備の翌年、在郷軍人会が師団入城の記念に2200本の桜を植樹したのが始まりだ。
25(大正14)年に同師団は廃止。施設は軍の管理下にあったが、翌年から高田保勝会(後の観光協会)の主催で観桜会が始まった。今年は92回目の開催だ。
本丸は形が整った高い土塁に囲まれている。築城した年の末に「大坂冬の陣」があったために突貫工事となり、石垣はない。

町に戻り、旧奥州街道を歩いた。延々と続く雁木通りはジグザグが連続し、往時をしのぶことができる。中心街には、旧今井染物屋や瞽女(ごぜ)ミュージアム高田など、町屋を生かした施設が点在し、家の中を見ることができた。
明治から昭和初期の洋風建築も幾つかあり、旧師団長官舎、高田世界館(映画館)、建築家のボーリズが設計した高田降臨教会など、町歩きも楽しい。花見と併せて訪れたい町だ。
(森山広之)
(2017年4月8日号掲載)
=写真1=左が二の丸、右は本丸の西南に建つ三重櫓(3月20日撮影)
=写真2=中心街に長く延びる雁木の通り