
県立歴史館準備室で大変だったのは、展示資料の購入です。歴史資料が本物かどうかを見分ける能力、いわゆる鑑定のシステムづくりです。本物を集めるのはもちろん、複製を作る時にも、きちんとした根拠資料を提示しなければなりません。
そのためには研究活動がどうしても必要になりました。しかし、当時は「研究は個人でやるものだから」と、学芸員が勤務時間内に行うことは認められていませんでした。
県立歴史館では、勤務時間内の研究活動を公認してもらいました。学芸員が研究発表を共同理解することで、解説ガイドとしても、活動範囲が広がり、学芸員定数を少なくできるシステムにしたのです。このための資料作りは大変でした

が、全国の都道府県博物館で初めての例となりました。
信濃布を麻布で復元
学芸員は、現物や原本購入のための鑑定能力である「何を目安にして、偽物と本物を見分けるか」を前もって研究します。複製資料を作る際には、関係資料の中から、業者にどういう条件で製作を指示するか、どれを選定するかの研究を前もって発表し合いました。
例えば、「信濃布」という奈良時代にあった麻布で袴(はかま)と上着を復元しました。現代の袴や上着とは全く違うので、古代の資料を見なければなりません。信濃布は正倉院にあり、宮内庁長官の許可を得て、全国で初めて正倉院の布に基づいて複製させてもらうことができました。
「足半」(あしなか)は、つま先だけしかない草鞋(わらじ)で、これが本来の草鞋でした。武士やもの担ぎはかかとを使わず、つま先で歩いていました。馬に乗る人は鐙(あぶみ)の上につま先立ちで、馬から降りれば走るので足半でよかったし、駕籠(かご)かきもかかとをつかない「側進」(そくしん)という歩き方でした。
秀吉が信長の草履を温めて武士になった話がありますが、この時の草履が足半で、木下家はこれを江戸時代、家宝として残していました。東大史料編纂(へんさん)所が複製したものが、今も保存されています。
庶民が日常食べていた麦や大豆、野菜などを白米にまぜた「かてめし」「米俵」「肥え桶(おけ)」などの調査もしました。
川中島合戦図屏風
資料購入費だけで2年間で4億円を付けてもらえました。江戸後期の町絵師が描いた「川中島合戦図屏風(びょうぶ)」を1350万円で購入しました。当時、この屏風があることは全国で知る人はいませんでした。バブルがはじけた時期で、遺産相続時に売られた屏風を美術商の東京美術クラブで見つけたのです。
資料購入のプロセスは、まずどこにどういうものがあるか、原本資料をめぐる情報収集を行い、業者と交渉。さらに独自の調査をして、鑑定をします。鑑定は、全資料について自分たちで選んだ鑑定人が鑑定書を作り、評価選定作業で、業者と客観的評価委員会との値段を突き合わせて調整していました。
これらの作業を通じて、各専門分野の研究者らとの人的交流やパイプが広がるととともに、大量の実物資料群から中世の実物資料を見分ける鑑定眼「目利き」の勘を養うことができました。
(聞き書き・中村英美)
(2017年6月17日号掲載)
写真上=川中島合戦図屏風(部分)
写真下=「信濃布」の調査で正倉院を訪れた私(事務所前で)