
フランス国立民俗博物館は国立歴史民俗博物館(歴博)と交流があり、ちょうど私が歴博に入った1998年、ミシェル・コラルデル館長と日仏会館のピエール・スイリ学長が、共同研究をしたいと歴博を訪れました。
ミシェルさんは考古と民俗、ピエールさんはヨーロッパ中世の研究をしていました。このため、中世史研究の私が担当者となり、2001年から05年にかけて「中世城郭と騎士」をテーマに共同研究を行うことになりました。
04年1月には、国際シンポジウムの事前打ち合わせ会議があり、私と千田嘉博助教授と、通訳としての妻の3人で、フランスのパリを訪れました。8日間の日程で、ノートルダム寺院やルーブル、ソルボンヌ大学などを回りました。
中世城郭機能を比較
千田君は、その後、奈良大学に移り城郭研究の第一人者として、NHK大河ドラマ「真田丸」の考証など、今ではテレビで引っ張りだこの研究者になっています。
3月、歴博にフランス学術団を迎えて、国際シンポ「中世城郭の社会的機能―その日欧比較」が開かれました。国際交流ではエクスカーションといって、あらかじめ史跡見学をするのが慣例で、この時は岩手県平泉の中尊寺や毛越寺、一関市博物館などを案内しました。フランス人研究者7人、ロシア人1人、日本の歴史研究者29人が参加しました。
研究成果は▽欧州では11世紀に山城(シャトー)ができ、日本では14世紀と遅れること▽欧州ではモットという土豪農民の土塁の城がつくられるが、騎士がつくるシャトーとは区別されること▽フランスのシャトーは、アウラ(大広間)とカメラ(私的居住空間)、カペラ(礼拝堂)という3つの要素からなるが、日本の武家館跡も、主殿、私的居住空間である常御殿(つねのごてん)、人と会う会所、持佛堂から構成され、共通点が見られること―が分かりました。
翌05年9月には、パリの国立民俗博物館で開かれ、歴博と東洋大の堀越宏一教授と青山学院大の渡辺節夫教授らとともに参加しました。フランス側が主催したエクスカーションでは、エプト城やルーアン大の城跡発掘現場、ガイヤール城などを見学しました。
日本での弾圧と類似
解散後の8日間は、私的な研究テーマで南フランスをまわりました。カトリック教会が異端としたカタール派の伯爵や騎士、農民がつくった山城が残っています。カタール派が現れた10世紀頃は、大きな力を持っていたカトリック教会の司祭ら、布教者の堕落を批判する民衆運動の時代でした。カタール派は「清貧思想」を展開したのですが、異端とされて十字軍の弾圧を受けました。しかし、カトリック教会の内部改革派の中に清貧思想が浸透、定着していました。
この南仏の状況が、日本における10世紀の山岳宗教と13世紀鎌倉新仏教への弾圧と類似していることが初めて分かりました。これらを研究成果論文「日本中世における城と領主権力の二面性」にまとめ報告しました。この論文が後に、欧州王朝財政文書と日本朝廷の財政文書との比較研究の契機となりました。
(聞き書き・中村英美)
(2017年9月2日掲載)
写真=フランス開催の国際シンポのエクスカーションで訪れたルーアン市役所横で。通訳を務めてくれた妻と