
信濃国など日本の66の各国には、一宮や二宮といわれる神社が必ずあります。しかし、国ごとになぜ存在しているのかという研究はありませんでした。
大阪工業大学の井上寛司教授の呼びかけで、1994年5月、明治大学で「中世諸国一宮制研究会」が発足しました。研究費は自弁であったにもかかわらず、多くの研究者が集まり、毎年、国一宮の史料調査と研究会が開催されることになりました。
95年の但馬一宮出石(いずし)神社と総持寺をはじめとし、伊予一宮大山祇神社、柞原(ゆすはら)八幡宮と宇佐宮、備中吉備津(きびつ)神社と備中総社...と、年に一つずつ、各国ごとの一宮・二宮や惣社・国分寺などを見学。史料残存の状況調査をまとめました。
飛騨と信濃を担当
これは2000年2月に「中世諸国一宮制の基礎的研究」として刊行され、私は「飛騨国」「信濃国」を担当しました。
この年の5月に組織替えをして、「一宮研究会」として再出発し、史料に基づく分析研究と論文執筆に入りました。こちらは、井上教授が代表を務め、国学院大学の岡田荘司教授と国立歴史民俗博物館(歴博)の私が編集を担当しました。
年2回の神社文書調査と研究会を開き、能登気多(けた)神社、尾張熱田社、一宮妙興寺、真清田(ますみだ)神社などについて文書調査をしました。この研究会は、文科省の科学研究補助金申請に合格して、04年12月には研究論文集「中世一宮制の歴史的展開」を刊行しました。
この研究の特徴は、初めて日本国中の66カ国2嶋(対馬・壱岐)の計68カ国の一宮、二宮、三宮、国府、国分寺などの神社と神宮寺(神社に付属して置かれた寺院や仏堂)の史料調査を完了したこと。そして、全国の公私立大学の教員34人、県市町村博物館学芸員5人、高校教員3人、大学院生2人、他2人の合計46人が自発的に参加して行われ、日本史の中では初めて、横のつながりを持った大規模共同研究事業であったことでした。
一宮は神社と神宮寺がセットであったことから、神道史研究と仏教史研究とが一緒にできました。それまで神社の研究は、国学院や皇学館大学が中心で、神社史は保守的な右翼の研究ときらわれていました。一方、仏教の方は、各宗派経営の大学が寺院史研究をするというので、両者は「水と油」の関係、神社と仏教の研究者が顔を合わせることはほとんどありませんでした。
神道・仏教史交流に
この研究により、神道・神社史研究と寺院史研究との溝や研究者間の垣根が取り払われ、両者の交流や共同研究が進む契機となりました。
研究成果は、国一宮であるから、国策によってつくられたという従来の定説のほか、京都を中心とした中央寺社の22社制に対応して生まれたという説、国ごとの国衙(こくが)が国内寺社を順序立てたとする説などが分立して、国一宮制の多様な形態が明確になったことです。
前近代の宗教史研究が大きく発展したと学界でも高く評価されました。私にとっても、全国を飛び回った思い出深い大学の枠を超えた最大の巨大共同研究プロジェクトとなりました。
(聞き書き・中村英美)
(2017年9月16日掲載)
真清田神社(愛知県)で開かれた一宮研究会のメンバーらと=2001年