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30 中世借用証文 ~全国の原本調査実現 「新分野研究」と評価

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 私の個人研究テーマでは、全国の中世借用証文の原本調査を行いました。古代中世の土地証文の研究は、売券研究としてなされ、たくさんの蓄積がありました。ところが、古代の借金証文(借りた時の借用状と返した時の領収書にあたる受取証)については、研究が全くありませんでした。そこで、2002年から05年にかけて「日本中世債務史の基礎的研究」を立ち上げました。

 今は、お金を借りたら必ず利子をつけて返し、返せなければ利子は無限に増えていく経済法則が常識になっています。昔の人も同様だったと考えられ、借金証文を研究しても意味を成さないとされてきたのです。

科研から補助金
 しかし、私は、債務にも歴史があり、借りたものは何でも返済の義務があるという債権者優越の原理は歴史的に形成されたものであるという仮説を立てました。

 債務史研究という新しい研究分野を創造開拓したいという目的を、文科省の科学研究補助金助成に申請しました。すると、約400万円の個人研究費が交付されました。国立歴史民俗博物館(歴博)や研究機構などの研究費と合わせ、1千万円近くの研究資金ができました。

 それで、4年間で全国に残る借金証文の原本調査を計画しました。事前調査で、県立歴史館に入った東大名誉教授・宝月圭吾史料の売券類古文書7千通から借用証文の抽出調査を終了。1995年から2004年には全国一宮神宮寺の古文書調査が終わっていたため、全国調査を終えられる目鼻がついたのです。

 追加調査として東大寺図書館、東寺、醍醐寺、歴博所蔵の借金証文の原本調査を行い、ほぼ全国に残る主要な借用証文の全てについて原本調査を実現できました。

 とりわけ東大寺図書館にある未成巻文書943通(すべて受取状)は、1通ずつ別々のものだと思われてきたのですが、のりをなめた虫食い跡やのり代跡、墨継ぎ跡を突き合わせると、もとは一枚一枚をのりで貼ってつなぎ合わせた連券であったことが分かりました。

 会計担当者が自分で発行したり、受け取ったりした領収書や切符(きりふ=小切手)の文書群を、特定の年の収支決算の監査書類として、連券にして残したものでした。中世権門寺院でも収支決算の帳簿と監査の帳簿を作成していたことが、この調査によって初めて判明しました。
帳簿作成が判明する

 東大寺未成巻文書の調査に携わった研究者は、京都大学の中村直勝教授、東大寺史研究所所長の堀池春峰さんに次いで、私が3人目でした。国宝指定を受けた未成巻文書は、この後、虫食い跡やのり代跡による料紙の連結が可能なように、畳紙(たとう)方式による修理が実現し、大変幸運な原本調査となりました。

 06年、科研報告書に「日本中世債務史の基礎的研究」をまとめると、新しい学問分野を立ち上げるための典型的な事例研究として評価されました。なかでも「日本全国に残る古代中世の借用証文のほとんどを原本で調査した研究者」という評価が、史料研究者としての誇りでもありました。
(聞き書き・中村英美)

写真=未成巻文書調査に訪れた東大寺で(上) 東大寺の受取状など古文書群の一部
 
井原今朝男さん