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27 東御市 海野宿と雷電の足跡たどる

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 東御市の中心部、田中までは、長野駅から1時間足らず。しなの鉄道田中駅に併設の観光情報ステーションで、観光客に自転車を無料で貸し出してくれる。

 北国街道の海野宿へ向かった。田んぼの間や線路に沿った遊歩道を進み、15分ほどで白鳥神社に着いた。宿場の入り口だ。

 周辺は、中世にこの地を支配した豪族海野氏の城下町だった。1583年、海野氏の流れをくむ真田昌幸が上田城を築き、ここの住民を大手門前に呼び寄せて「海野町」(現在の上田市中央)としたことで、ここは「本海野(もとうんの)」の地名になっている。

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 海野宿は隣の田中宿まで直線距離で1・7キロと近い。初めは両宿が半月ごとに交代で伝馬役を務めたが、1742年の千曲川大洪水「戌の満水」で田中宿が壊滅し、海野宿が本宿になった。明治時代には、旅籠の建物を使って養蚕、蚕種業が盛んに行われた。

 約600メートルの道路の真ん中に石積みの水路が流れ、両側に趣ある格子戸の家が並ぶ。県内に7カ所ある重要伝統的建造物群保存地区の一つ。ガラス細工や和小物を置く雑貨店、そば店などが所々にあり、観光客がちらほらとのぞきながら歩いているが、静かな町だ。軒先で揺れる風鈴が澄んだ音を響かせている。

 白鳥神社は、海野氏や真田氏が崇敬した。松代町の舞鶴山にある白鳥神社は、江戸時代初め、真田信之が上田から松代に移封された際に、ここから分祀したものだ。

 境内には土俵がある。力士雷電(1767~1825年)が奉納したものという。雷電は5キロ東の滋野の出身。この周辺には雷電ゆかりの史跡が多い。

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 「田中の石造仁王像」もその一つ。住宅街にひっそりとたたずむ薬師堂の両側に、赤く塗られた一対の仁王像が立つ。かつてあった一対のうち右の「阿形像」は戌の満水で流されたが、雷電の母けんが、残った「吽(うん)形像」に願をかけた。「丈夫な男の子を授かりたい。かなえられたら阿形像を奉納します」。けんは雷電を生み、30年後に雷電が大関になると、誓い通りに阿形像を奉納したという。

 今年は雷電の生誕250年。東御市文化会館サンテラスホール内の丸山晩霞記念館で9月24日(日)まで、「雷電と江戸時代展」が開かれている。当時の番付表や雷電の手形、化粧まわしやきせるなどが展示され、伝説の力士を身近に感じることができる。滋野では復元された生家も公開されている。
(竹内大介)
(2017年9月9日掲載)

写真上:格子戸と「うだつ」に特徴がある海野宿の町並み
写真下:田中の石造仁王像。右が雷電の母が奉納したという阿形像
 
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