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31 天皇家資料の研究 ~歴博と国文研共催のフォーラム「和歌と貴族の世界」

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 歴史民俗博物館(歴博)は、古代中世の原本史料を最も大量に所蔵し、展示する国立の専門機関です。特に天皇家や公家、摂関家など貴族の歴史資料の所蔵場所は、天皇家(京都御所)と宮内庁書陵部、近衛家陽明文庫(京都)、歴博の4機関が中核施設となっています。

 歴博が所蔵している高松宮家旧蔵禁裏本(禁裏本=天皇家の文庫に収められた書籍)が未紹介で公開されていなかったため、2003年から08年まで目録の作成と資料公開のための共同研究を行いました。

 昭和天皇の弟、高松宮家の私有財産のうち、文書や記録関係の書籍類は全て歴博に収められました。その多くが古代中世のものだったことから、古代史研究の吉岡真之教授と中世史の私との2人が中心になって調べることになりました。

後鳥羽上皇の日記
 中身はほとんどが和歌であったため、国文学研究資料館(国文研)や宮内庁書陵部に協力を依頼しての研究となりました。

 その研究成果を国民に還元するため、05年には歴博で「うたのちから~和歌の時代史」という企画展を行いました。天皇家の資料群の公開展示は史上初めてのことで、会期中に歴博と国文研の共催で「和歌と貴族の世界」をテーマにしたフォーラムも開きました。

 この企画展で特に話題になったのが、鎌倉時代の後鳥羽上皇の日記の書写本の調査研究でした。伏見宮貞成(さだふさ)親王(後崇高院)の日記「看聞(かんもん)日記」を侍従長から借用できました。

 そこには、建保3(1215)年5月15日、後鳥羽上皇が内裏から抜け出て、萱屋(=民間の家)で柿下栗下連歌を行い、宋銭を懸け物として和歌を詠んで分銭2貫700文(現代でおよそ20万7千円)を獲得したことが記されていました。

 ちょうど、上皇が「宋銭流通禁止令」を出している最中のことで、「現代、銭は凡卑とされているけれど、昔はそんなことはなかった」と、銭の利用を正当化した記述がありました。

禁裏本の学術書刊行
 大正時代、東京帝国大学の和田英松さんが天皇御記を集成した「宸(しん)記集」は、この史料の部分を削除していました。天皇家に都合の悪い史料を宮内庁図書寮が意図的に隠ぺいしていた戦後史の事例の一つで、これを「後鳥羽院日記逸文と懸銭の流行」として論文にまとめ、学界に紹介しました。

 この企画展示を皇太子が展覧された時、私が説明を担当しました。後鳥羽院の日記に「おもしろいですね」と関心も示し、歴代天皇の花押をご覧になると「後西(ごさい)さんですか」と聞かれました。学習院大学大学院で中世流通史を専攻され、京都御所東山御文庫本の調査経験もあった皇太子は、近世天皇の花押や筆跡を目利きする力を持っていました。

 一連の研究成果は論文集「高松宮家蔵書群の形成とその性格に関する総合的研究」にまとめられました。14年には、私の禁裏本の研究論文を集成した専門学術書「室町廷臣社会論」が刊行されました。
(聞き書き・中村英美)


写真=史上初の公開展示 フォーラムも開催
 
井原今朝男さん