
COE(先端研究機関)での学者博士の任務には、新しい研究分野を創造し、学問として体系化して、専門著書として公刊するという仕事がありました。
一般の大学の先生たちは大半の仕事が、既存の学問体系を学生に教える教育活動や専門教育の充実が中心になります。専門研究の分野では、新しい分野をつくり出し、体系化して、学問の分野として確立することが求められるのです。
学術専門書を刊行し、学界の研究書の末端に加えられると、厳酷な批判の矢面に立たされます。専門研究になればなるほど、理解してくれる人は国内では少数、世界で何人という具合になってくるので、批判を受けることが光栄で栄誉だと教えられてきました。
疑問に答える研究
私の場合は、ライフワークである債務史研究について、学界で賛否両論の議論や疑問点が出されました。それに回答する研究を深化させ、2006年に「日本中世の利息制限と借書の時効法」、「中世契約状における乞索文(こっさくぶみ)・圧状(えんじょう)と押書(あっしょ)」、10年に「中世債務史の時代的特質と当面の研究課題」と、3つの専門論文を執筆して論点の体系化を推進しました。
すると、東京大学出版会からモノグラフ(学術書)刊行の提案がありました。学界認知のモノグラフの刊行という場合には、手続きがあり、まず文科省の出版助成金に申請して合格しなくてはなりません。さらに、東大以外の教授が東大出版会から出す場合は、東大教授の推薦と企画委員メンバーの合議による審査が必要でした。
それらをクリアすることができて、11年11月に「日本中世債務史の研究」が出版、刊行されました。同年代の学者博士の中世研究者では、東大の2人と国立歴史民俗博物館(歴博)の私の3人だけでした。
学術専門書の書評は、古文書研究会と法制史学会が、有意義な書として年間書評に取り上げてくれました。
研究者冥利に尽きる
13年には、イタリアのマウロ・カルボーニ教授から、国際経済史学会の京都大会での報告依頼がありました。入院手術のため日程の調整がつかず出られなかったのですが、関係者の諸論文が翌14年9月の「歴史評論」特集号の「債務史研究の可能性をさぐる」に掲載され、国際的にも認知されるきっかけとなりました。
歴史学研究会でも、15年2月の「歴史学研究」が「日本中世の契約と取引慣行」というテーマで特集号を出してくれました。「井原の提起を受けて、今後どのように研究を発展させていくことができるだろうか」と問題提起して、5人の若手研究者の論文が掲載されました。
全く同じ企画が偶然、2つの学会誌から出るなど、日本経済史における債務史研究が、日本史学、法制史学、経済史学などの学会で認知されるとともに、若い研究者の研究が登場し始めました。研究者冥利に尽きるうれしい出来事でした。
(聞き書き・中村英美)
(10月14日掲載)