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33 貴重史料の発見 ~目利き試す真剣勝負 修理保存して未来へ

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 先端研究機関の業務に、新出重要史料の発見や高額史料購入、それを修理、保存し、貴重史料を未来の研究者に残す仕事があります。

 私が教授として担当した院政期から鎌倉、室町時代の中世史料群には、国宝や重要文化財など、貴重史料が多数ありました。何百年も経て、劣化が進んだ史料の修理は、保存修理業者との共同作業で行い、高額の予算が必要になりました。

 2001年10月に、千葉県にある香取社の旧社家本宮家から古文書の残闕(ざんけつ=ぼろぼろのちり)が出てきました。これを集めて復元作業を行ったところ、建永2(1207)年の近衛家政所下文と、承元元(1207)年の鎌倉幕府下知状の原本であったことが判明しました。

天皇家帳簿が出現
 それまで社家文書としての香取文書は、戦国末期に一括して書写されたものと信じられ、正文や案文を含んだ文書群であるとは知られていませんでした。

 国立歴史民俗博物館(歴博)館蔵の国重要文化財の「延喜式」は、鎌倉時代の公家・吉田経長の日記「吉続紀(きっしょくき)」の紙背文書でした。日記は、本来の役割を終えて捨てられる反故紙(ほごし)の裏に書かれており、当時使用済みとされた文書こそが「延喜式」だったのです。

 文化庁の書籍専門の調査官と共同で厳密に条件を設定し、東京国立博物館の修復業者に作業を依頼、検収しました。

 国重要文化財「結城合戦図絵巻」は、絵画の先端部分が劣化して破損し、前後を入れ替えて修理していたことが、レントゲン撮影で分かりました。国の文化財保護審議会にかけて、本来の順序に戻す修復作業をしました。

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 2006年に上野の古書店市で、私が後に「船橋清原家旧蔵資料群」と名付けた新しい史料を発見しました。それは、明治の貴族家である船橋家に伝来した室町時代の後柏原天皇即位式の財政帳簿で、官務職であった大宮小槻時元(おおみやおづきときもと)の自筆史料でした。存在しないと言われてきた天皇家の財政帳簿の初めての出現でした。

 08年に日記残闕の紙背文書49通を発見して約500万円で購入しました。この時、日記の作者や古文書の発給者が不明で、通常よりも廉価で買えました。

中世の人の息遣い
 東大史料編纂所の榎原雅治教授らとの共同研究で、日記の作者は中原師胤(もろたね)で、紙背文書は、局務の師胤が、宮中年中行事の担当者を注記した分配文で、全て宿紙(しゅくし=天皇家でしか使えない漉き紙)であることが判明しました。

 表の日記と裏の宿紙の分配文を展示や研究資料として両面利用する最良の方式を選んで修理。室町時代の古紙の弱さを補充するため、太巻き巻子(かんす)本の特別仕立てとし、年に1度の利用制限を設けました。

 貴重史料の発見は、研究者の目利きの能力が試される真剣勝負であり、国宝や重文の修理経験や関係諸機関の専門研究者仲間の協力が不可欠でした。

 時代を超えて生き続けてきた史料には、何代もの人が関わっています。室町時代の日記をはがせば、下から鎌倉時代の人の筆跡が出てくることもしばしばです。亡くなった中世の人たちの息遣いに触れられる不思議な魅力を持った仕事でした。

(聞き書き・中村英美)
(2017年10月21日掲載)

外題は日展書家の川村龍洲さん=左。補修された古紙の弱さを補充するための太巻部分=下
 
井原今朝男さん