
大学共同利用機関は複数あり、他機関から頼まれ共同研究を行うことがありました。2004年から国文学研究資料館から共同研究委員の委嘱を受け、09年から11年に「特定研究 陽明文庫における歌合資料の総合的研究」に参加しました。
10年から12年に、国際日本文化センターの共同研究メンバーに加わり、論文「公家史料の申沙汰記」を報告。09年から13年に、総合地球環境学研究所の共同研究で、「生業の古代中世史と自然観の変遷」の論文報告をしました。
特に12年から13年には、井原編「中世における富と貧困の淵源」で、大学研究者16人が国立歴史民俗博物館(歴博)に集まり、研究会を開催。全員の論文を載せた「生活と文化の歴史学 3富裕と貧困」を刊行しました。
論文が大学入試に
大学の枠を超えた共同研究が続いた時代、特に印象に残ったのが13年のこと。広島大学長から、法・医・文・教育学部の前期試験の「国語」で、拙論「生業の古代中世史と自然観の変遷」を試験問題に利用した事後承諾依頼文が届きました。
論文の「第一章 近代知遡及法から環境復原分析法へのパラダイムの転換」のほぼ全文約6ページ分の文章を引用した大学入試問題になっていました。私自身にも解けないくらいの難問でした。20歳に及ばない受験生が、研究者として真剣勝負でつくりあげた論文を全身全霊で読解してくれたわけです。
発表論文が、自分の知らないところで一人歩きし始めたことを気付かされました。研究者(冥)(みょう)(利)(り)に尽きる幸せと研究活動の素晴らしさを実感し、「やめられない」と思いました。
05年から07年には、私が代表を務めて基幹共同研究「中・近世における生業と技術・呪術信仰」を行いました。11大学の教授と歴博から6人が参加。4県での現地調査と研究会を行い、10年に同タイトルの歴博研究報告を刊行しました。学界では「歴博の研究を見れば、現在の技術史・産業史研究の到達点がすぐに分かる」と評価されました。
11年から13年にかけての共同研究では、「創設期の金沢文庫と南宋版漢籍」「東アジアをむすぶ漢籍文化」と題して国際シンポジウムが開かれました。中国、香港、台湾、韓国から中国学研究者多数の参加があり、関心の高さに驚きました。
名誉教授の授与
中国では、宗代から明、清にかけて、書物は全て出版された版本になったため、古い書写本が消滅。日本に残る古代・中世の書写本での研究を必要とする背景がありました。
14年2月8日、歴博の最終講義「中世史料批判学の諸問題」を行いました。この日は、千葉県が1966年以来の観測史上初めて、33センチの大雪で、京成電鉄が運転停止になるなど大混乱でした。6月4日に総合研究大学院大学、17日に歴博からそれぞれ名誉教授の称号を授与されました。
04年に始まった長野県や千葉県の文化財審議会委員は、10年ほど続き、長野県では13年から会長を務め、今年2月に退任。6月、県学術芸術文化功労者として知事表彰を受けました。今は論文執筆などをしながら、老いて知った(閑)(かん)(適)(てき)の自由さを満喫しています。
(聞き書き・中村英美)
井原今朝男さんの項 おわり
(2017年10月28日掲載)
写真*総研大名誉教授の称号を授与される
(前列右から3人目が私)