記事カテゴリ:

28 大桑村 ~難所を回避する旧中山道

1014okuwa01.jpg
 大桑村の須原駅から大桑駅まで歩いた。同村は上松町と南木曽町の間に位置している。旧中山道の須原宿と野尻宿があり、古くから主要な街道筋として栄えた。

 JR中央西線の須原駅を降りると、すぐ目の前が須原宿だ。創設は室町時代といわれ、江戸時代は中山道の宿場町として旅籠や茶屋など約30軒があった。かつては木曽川のそばにあったが、1715(正徳5)年に大洪水により宿場がほぼ流失。17(享保2)年に現在の高台へ移転し、道幅も5間(約9・5㍍)に広げられた。

 町並みは、家の多くが建て替えられているが、西側の一部で昔ながらの2階がせり出した「出梁(だしばり)造り」の家を見ることができる。しかし、所々に空き家が見られ、将来この景観がどうなるのか心配だ。

 西端には定勝(じょうしょう)寺がある。寺院は1598(慶長3)年築。当時の豪壮な禅宗寺院を今に伝え、山門、本堂、庫裏(くり)が国の重要文化財に指定されている。

 中山道は同寺の手前で谷に向かって直角に折れる。外敵からの侵入を防ぐため、京都側に設けられた「枡形」と呼ばれる宿場町の特徴だ。

 町を出て坂道を登り切ると、道は大きく迂回。街道らしい家並みが現れ、伊奈川橋へ着いた。

1014okuwa02.jpg
 伊奈川は増水時に荒れ川となるため、架橋の難所だった。橋の奥には懸崖造りの岩出観音があるが、木に隠れてしまい少々残念だ。江戸時代の浮世絵師・渓斎英泉は木版画「木曽街道六十九次」で、この橋を題材に「木曽路駅野尻 伊奈川橋遠景」を描いた。歴史民俗資料館に、江戸時代中期の縮小復元模型が展示されている。

 しばらく歩き、国道19号に合流する。その先は「今井ナギ」(薙=そそり立つ断崖)と呼ばれ、木曽川べりの崖に街道があった。しかし、1691(元禄4)年に崩壊。再開を断念し、ルートを南側に大きく迂回させた。

 迂回後の道をたどって山へ向かうと、突然広い扇状地が現れた。棚田が広がり、ここが木曽谷かと目を疑うほど穏やかな風景だ。

1014okuwa03.jpg
 緩斜を下り、大桑駅へ。ここまで約4・5キロ、変化に富んだ風景が楽しめた。足に自信があれば、大桑橋を渡って木曽川西岸を歩き、野尻駅まで合計約10キロのウオーキングができる。華やかな観光地ではないが、昔をしのばせる生活用の設備や建築をいろいろ見つけられた旅だった。

(森山広之)

写真上:背後に山が迫る須原宿。道幅が広く、一部に「出梁造り」の家が残る

写真中:版画「木曽六十九次・伊奈川橋遠景」に描かれた伊奈川橋。奥に岩出観音堂の屋根が見える

写真下:大桑橋から見上げた今井ナギ。崖の中腹に国道18号の橋がかかる

1014okuwa-map.jpg
 
小さな日帰り旅