記事カテゴリ:

06 学生時代 ~父の勧めで駒沢進学 3年まで弁論部漬け

03街頭演説会.jpg
 高校時代は西田幾多郎や鈴木大拙がブームで、京都大学で哲学を学びたいと思っていました。しかし、父は「ほかの大学に行くなら学費は出さない」と言って、駒沢大学への進学を強く勧めました。

 1960(昭和35)年に駒沢大学を受験しましたが、父がずっと付きっきりでした。長野から東京まで汽車で碓氷峠を越えて7時間余り。父は同じ部屋で寝起きし、試験場まで付いてきて、私が受験するかどうか監視していたのでしょうね。仏教学部禅学科に合格。入学の折に十数軒の檀家の方々から餞別を頂き、1週間ほどかけて礼状を書きました。

構内の学寮で生活
 入学前に「悟では寺の息子らしくない」という父の意向で、「悟」から「魯参」に改名しました。「魯=愚か、参=なれ」つまり「愚かになれ」との意味で、戸籍には「参」は旧字体の「參」で届け出ています。

 世田谷の大学構内にある学寮「竹友寮」に入り、すぐに校歌、寮歌、応援歌の練習が早朝から始まりました。授業がスタートすると、100人余りの全寮生が2班に分かれて朝課法堂(はっとう)での朝の勤行(ごんぎょう))と清掃を週替わりで交互に行いました。お経の読み方、袈裟の着け方、法衣のたたみ方なども習いました。

 朝食は全寮生が一堂に会し、上座に酒井得元寮長、鈴木格禅寮監外教授の先生たちが横一列に並び、学生が縦列に座りました。僧堂の食事作法行鉢(ぎょうはつ)・展鉢(てんぱつ)に従って一通りの唱え言が終わり、いざ食事という頃にはみそ汁が冷めていました。

 食事風景はそれまで目にしたことがないほど壮観かつ新鮮で、感動しました。一斉に食事が終わるので、自然と早食いになりました。

 授業は川田熊太郎(西洋哲学史)、東元慶喜(パーリ仏教)、総長の保坂玉泉(唯識教学)、総持寺後堂を務めた沢木興道(座禅実習)、山下肇(ドイツ語)の各先生の講義が印象に残っています。

 寮生活が落ち着いた頃、弁論部の先輩が入部の勧誘に来ました。長野高校で一緒だった宮川義典君が、私が高校の生徒会で幹事をしていたことを伝え、熱心に入部を勧められて弁論部に入りました。放課後に屋上で発声練習をし、弁論の原稿の書き方を学びました。3年生まですっかり弁論部漬けでした。

 この頃、60年安保闘争の学生運動が激しさを増していました。弁論部もデモに参加し、私も何度か部旗を掲げてシュプレヒコールの輪に入ったことがあり
ます。

帰郷し読書ざんまい
 夏休みに帰郷した折、母が万が一の事を心配して柳原寺の庫裏に祭ってある韋駄天さんに毎日無事を祈っていると聞きました。以後、デモなどの政治運動はやめました。

 柔道部への入部を勧められ、2年生の秋に弁論部幹事長になるまで柔道部にも所属しました。これが縁で、後に教授時代に柔道部長を10年ほど務め、岩手県警やハワイの合宿に同行しました。

 今はできませんが、3年生までで、卒論を残し卒業に必要な単位を取り終えたので、2年生から住んだ下宿を引き払い、心機一転、長野に帰郷して、「正法眼蔵有時の論理」という論題で卒業論文の作成に専念しました。

 この1年間は朝から晩まで読書ざんまいでした。これが学問研究の道へ進む機縁になりました。
(聞き書き・船崎邦洋)
(2017年12月9日掲載)
 
池田魯参さん