木曽福島は、長野駅から名古屋行き特急「しなの」で1時間半。中山道の宿場町だ。街は木曽川とJR中央西線、国道19号に沿って細長く広がり、高台から川べりまで高低差のある土地に、民家や商店がひしめくように立っている。
駅前の中山道を北へ向かうと、菓子店や漆器店などが並ぶ。店先に「次のねらいは優勝杯」と刷られた大相撲の御嶽海後援会のポスターが貼られている。銀行の外壁には、先場所の星取表も。関脇御嶽海関は隣の上松町に生まれ、福島の高台にある木曽青峰高校に通った。町の人たちの関心の高さがうかがえる。
しばらく進むと、「上の段地区」。クランクの連続する道筋は、宿場に敵の侵入を防ぐ鍵の手や升形の跡だ。木曽福島の町は1927(昭和2)年の大火で約750軒が焼失したが、この一帯は類焼を免れ、うだつのある古い建物が残っている。
その一画、趣のある寺門前小路の先に大通寺がある。戦国時代の武将木曽義昌の居城「上之段城」があった場所だ。山門を入ると、武田信玄の3女真理姫の供養塔がある。真理姫は武田に屈した義昌に、信玄が正室として嫁がせた。
信玄の死後、義昌は寝返って織田信長側と結び、武田氏滅亡のきっかけをつくったが、真理姫は義昌に添い遂げた。男たちの戦いを、どんな思いで見つめていたのだろう。
上町交差点近くに、断崖をジグザグに登る「初恋の小道」がある。島崎藤村の詩「初恋」だ。登った先にある高瀬家が姉の園が嫁いだ先だ。藤村はよくここを訪れた。
高瀬家は、尾張藩の木曽代官山村家に仕えた重臣で、薬「奇応丸」を300年にわたって製造販売した旧家。藤村の小説「家」の舞台でもある。現在は資料館になっていて、藤村の書や写真などを展示。子孫の女性が熱心に解説してくれる。
隣には福島関所が再現され、見学できる。江戸時代、東海道と中山道に置かれた4カ所の重要な関所の一つ。「入り鉄砲、出女」を取り締まった。特に女の出入りに厳しく、通過の手続きに2時間を要したという。
町中心部の標高が800メートル近い木曽福島は、長野市街地よりずっと寒い。木曽川のほとりにある足湯につかり、「すんきそば」を食べた。「すんき」は、かぶ菜の漬物で、木曽の冬の味覚。塩を使わず、乳酸菌で発酵させるのが特徴で、独特の酸味がある。熱いそばと一緒にすすり込んで、冷えた体を温めた。
(竹内大介)
写真上=古い建物が並ぶ上の段地区の街並み
下=大通寺境内に立つ真理姫の供養塔