
19平方キロ余と、県内市町村で最も小さい小布施町は、県外でも「町おこし」の成功例として挙げられる。訪れる観光客らは年間約120万人。目当ての一つが、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849年)の作品を所蔵する「北斎館」である。
豪農商、高井鴻山(1806~83年)の招きで、晩年に何度も小布施を訪れた北斎。昨今の北斎ブームは、町にも追い風のようだ。
昨年は、ロンドンの大英博物館で「北斎―大波の彼方へ」、大阪市のあべのハルカス美術館で「北斎―富士を超えて」が開かれた。東京・上野の国立西洋美術館では1月28日(日)まで、「北斎とジャポニズム」展が開催中。北斎を取り上げたテレビドラマやドキュメンタリーも相次ぐ。
大英博物館には、北斎館から「上町祭屋台」の天井絵「怒涛図」など計13点が出展された。
初日セレモニーにも出席した北斎館学芸員の荒井美礼さん(28)は「日本での展覧会に比べ、若い人が圧倒的に目立った」と振り返る。特に天井絵には、多くの人が「晩年にこんな力強い作品が描けるパワーがすごい」と感じていたという。

5、6年前から、北斎館にも多くの外国人が訪れる。最近の北斎ブームについて荒井さんは「海外で評価されることで、日本人が自分たちの持つ『カッコよさ』にあらためて気付いたからではないか」と話してくれた。北斎館は3月26日(月)まで「究極の富士図 富嶽百景の世界」を開いている。
北斎が小布施にきた経緯は、だいぶ明らかになってきた。かつて論議を呼んだ岩松院(小布施町)の天井絵(鳳)(ほう)(凰)(おう)図も、北斎の指揮という説が定着した。
近年注目されているのは、北斎晩年のテーマだった獅子である。小布施滞在中、北斎が健筆を振るったのが「獅子図」だ。
「幕末の不気味な世相に安穏を祈念した」「やってくる西洋文化、テクノロジーの脅威を予見した」という見方がある。北斎が描いては捨てた画紙を拾い、家宝にしている家が少なくない。
20年ほど前、獅子図80枚余がそろった「日新除魔」が突如、イギリスでオークションに登場。急きょ、文化庁が「海外へ流出させてはならない重要美術品」に指定、辛くも国内にとどまった。
墨の単色で描かれた獅子図は、80歳になってもなお盛んな覇気にあふれている。高齢社会の模範として、北斎の評価はさらに高みに上るだろう。「もう10年、いや5年の命を与えてくれれば、真の絵師になれた」。北斎最後の言葉と伝えられる。
写真上=ロンドンでも展示された「怒涛図」の女浪=北斎館所蔵
写真下=北斎の展覧会を案内=大英博物館で・北斎館提供