
ニガキ科で中国原産。ニワウルシは別名「シンジュ」(神樹)と呼ばれ、国内には明治初期に観賞用として移入、野生化して全国で分布を広げている。葉がウルシに似て和名がついたが、仲間ではなく、触れてもかぶれない。
「延徳田んぼ」の東方、中野市桜沢から三ツ和地区一帯で2000年代に入って目立つようになったニワウルシの現場を、5年ぶりに訪れた。13年ごろ、「このままだと、ニワウルシだらけになる」と危機感を抱いた時の桜沢区長竹内幸雄さん(69)が、区民に根絶を呼び掛けた場所だ。
三ツ和北大熊の集落脇の林のへりで、かつてのリンゴ畑が一面約300本のニワウルシ畑となった場所はそのままだった。
3メートルほどだった樹高はぐんと成長し10メートル近くに。雄木と雌木が隣接して群落を形成し、雌木群落の天頂部には当時なかった繁殖の元となる(翼)(よく)(果)(か)が付き、拡大気配を感じさせる。
もう一カ所は、桜沢地区の「蟹沢古墳」一帯。こちらは高さ20メートルほどの大木が固まってあり、周辺の耕作放棄地やリンゴ園の端などに、芽生えたばかりの幼木がにょきにょきと生え、やはり群落拡大を予感させていた。
翼果は遠くまで飛び、種を拡散し根茎でも増えて、繁殖力旺盛。切断しても脇から芽を出し、なかなか絶えない厄介な樹木だ。材質は軟らかく、「まきにしても火持ちが悪く、何の役にも立たない」と竹内さん。暮らしや産業などに直接の影響がないため、住民の関心は広がらない。高齢化が進む集落の中でじわじわと増え続けている。
北信には、こうした大群落でなくても、ある程度固まっている場所が点在する。条件さえ整えば「ニワウルシ畑」と化すタイミングを狙っている気がする。
リンゴ畑だった場所に群生するニワウルシ。雌木の先端には種を宿した「翼果」が付いている=中野市三ツ和北大熊で1月7日撮影