
「松代には犬が単独で伊勢神宮(三重県伊勢市)に参拝したという伝説があります」と、川中島町今里の北沢忠雄さん(55)から、週刊長野新聞社に手紙が寄せられた。「このまま埋もれさせるのは残念だ」と北沢さん。「わが郷土の昔ばなし―白犬の伊勢参宮」と題した奇譚が載った1958年2月の「松代町公民館報」を紹介してくれた。
館報の筆者は大平喜間多さん。明治から昭和にかけた郷土史家。新聞記者でもあり、政治活動や佐久間象山研究でも知られた文人だ。
公民館報に記された犬の伊勢参りは―
寛政年間(1789~1801年)、松代藩6代藩主の真田幸弘が参勤交代で帰る途中のこと。白い犬が現れて松代の城内まで行列に付いてきた。幸弘はこの犬をかわいがっていたが、突然行方不明になった。死んだと思われ、幸弘は僧侶に供養をさせた。ところが、ある日、松代と行き来していた伊勢の神官の手代から「『松代家中』と書かれた木札を首輪に付けた犬が、伊勢神宮に参拝した」と連絡が届く。白い犬は「殿のお犬さま」と呼ばれ有名だったので、この話はたちまち松代藩内に広がった。

江戸時代も中期となれば、戦乱で乱れた世情も落ち着き、人々も太平の世を実感していたであろう。心温まる松代の忠犬話は膨らんでいく。「伊勢神宮に連れていくと、白い犬は、人のするように神前で平伏し、拝礼し、行儀は人間も及ばぬほど」とまで伝えられたという。
江戸時代、「犬の伊勢参り」という話は全国各地にある。九州から東北の仙台、山形、弘前、津軽まで、あるいは、伊勢に近い京阪や江戸にも、神道のご利益礼賛にふさわしい忠犬が登場している。
群馬県の旧家文書には信州の中山道を経由して伊勢参りをした赤犬の記録があり、北佐久郡中佐都村の農家には伊勢参りをした犬の書きつけが発見されているという(1934年、東京日日新聞)。
さらに、人の代わりに伊勢参りをした「おかげ犬」もいる。病気などで伊勢まで行くことができない主人に代わって、人に連れられて参拝したというのだ。歌川広重の浮世絵には、鳥居の前に旅人と「おかげ犬」を思わせる犬が描かれている=写真上。今、伊勢では土産物として、ぬいぐるみや菓子など、おかげ犬グッズが売られている。
真田幸弘は恩田木工を登用して藩財政を立て直した名君だ。幸弘の愛犬が単独で伊勢参りしたという話は、名君と藩の権威を高めるためにつくられたのだろう。知恵者が相当に吟味したのではないかと憶測する次第だ。
画像上=歌川広重「丸清版・隷書東海道五十三次」より(四日市・日永村追分 参宮道)=三重県立美術館所蔵
(2018年2月24日掲載)