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31 群馬県安中 ~新島襄にゆかりの城下町

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 しなの鉄道~JRバス~信越本線と乗り継いで、群馬県安中市を訪れた。同市は軽井沢町に隣接し、国道18号や信越本線が通っている。江戸時代は安中藩と呼ばれ、中山道碓氷の関所を管轄した交通の要衝だ。市街地は碓氷峠から流れる碓氷川と九十九川に挟まれた段丘上にあり、船首のような地形をしている。

 安中は、2013年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重の夫で、同志社大学(京都府)の設立に奔走した新島襄(1843~90年)のゆかりの地として注目を集めた。新島は父・民治が安中藩江戸詰(江戸常駐)の藩士で、同地で生まれた。その後1864(元治元)年にアメリカへ向け脱国。民治は68(明治元)年に安中に引き揚げた。新島は74(明治7)年に帰郷し、3週間という短い滞在だが、安中の寺社などで熱心にキリスト教の伝道を行った。

 安中駅から碓氷川を渡り、旧中山道を10分ほど歩くと、かつての宿場町「安中宿」に着いた。宿場の数は17と多くないが、東山道の時代から続く古い町だ。

 中山道よりさらに高い場所に平地がある。安中藩の政治の中心・安中城と武家屋敷の敷地跡で、現在は小学校や住宅地となっている。1615(元和元)年に初代藩主として井伊直政の長男・直勝が就き、以降徳川譜代が所領を治めた。

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 大名小路と呼ばれる通りの一角に安中教会=写真右=がある。木立の間に見える石造りの礼拝堂は1919(大正8)年に建てられた。同教会は日曜の午後1時から5時まで、庭園のみ見学ができる。

 少し西に歩くと、「武家長屋」=同下=がある。1棟4軒の大きな長屋で、10畳の部屋が2つまたは3つある。独立した家に住めるのは一部の上級武士で、多くの藩士はこうした長屋に住んでいた。

 中山道に戻ると、江戸時代から今も続く醤油醸造会社「有田屋」がある。同社の3代目当主・湯浅治郎は新島の説教に感銘を受け、キリスト教に入信。第1回帝国議会の議員に選ばれるほどの実力者だったが、新島の死をきっかけに京都に移住。同志社を財政面で支えた。晩年の大正時代には吉野作造、安中教会牧師の柏木義円と共に日本の右傾化に警鐘を鳴らし続け、同教会の礼拝堂建設にも貢献した。

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 最後に新島襄旧宅へ。明治維新で江戸から引き揚げた藩士に与えられた武家長屋で、中心街から離れている。父・民治が万感の思いで息子を迎えた家には、今でも新島を慕う人が県内外から訪れる。

 安中は城下町として、明治キリスト教の出発点のひとつとして、その姿を今に残している。
(森山広之)
(2017年2月10日掲載)

写真上=幅50メートル近くある武家長屋は壮観だ
下=安中教会礼拝堂(左奥)の正式名は「新島襄記念会堂」という
 
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