記事カテゴリ:

24 帰国後 ~父母と恩師を亡くす どう生きるかを内省

0421-02ayumi.jpg
 2年間の米国での研修を終え、1994年3月末に、復学する2人の娘と共に帰国しました。妻は息子2人が学校を卒業するまで、さらに2年半、バージニア州シャーロッツビル市に滞在しました。

 帰国早々、NHKエデュケーショナルの田辺祥二ディレクターから「秋からのラジオ番組で、米国で何をしてきたか話してほしい」との電話がありました。NHK教育テレビ「こころの時代・仏のきた道」で、恩師・鎌田茂雄先生の相手役で出演したことが出演依頼になったのだと思います。番組のタイトルは「瞑想のすすめ・摩訶止観を読む」で、早速テキスト上下巻の原稿書きに追われました。

寿命を全うした父
 並行して「詳解摩訶止観」全3巻の刊行作業が重なり、帰国後数年は、まさに「摩訶止観」漬けの日々。さらに「現代語訳大乗起信論―仏教の普遍性を説く―」(1998年大蔵出版)も刊行しました。

 99年1月1日午前零時半、父の中一耕三大和尚が85歳で遷化。三が日は荼毘にできず、4日に密葬。柳原寺総代の方々も正月返上で、お寺に詰めて葬儀の段取りをしました。

 父は20数年糖尿病を患い、食事療法で寿命を全うしました。私の渡米中の2年間、夏の暑い盛りの盆行事は1人でさぞ体にこたえたのでしょう。大学入学後ずっと、檀家を回って読経する(棚)(たな)(経)(ぎょう)の3分の2を私がこなしていたので、労苦からくる父の体の衰弱は目に見えていました。

 父が亡くなる前年の夏、築300年近くたって、老朽化がひどい庫裏の新築の話が寺の総代会でまとまっていました。檀信徒の方々の温かい力添えを得て、2年後の秋に落慶式を営むことができました。

 2001年4月に駒沢大学の仏教学部長(任期4年)に就任。直後の5月12日、鎌田先生(梅嶺恵忍大和尚)が73歳で遷化。遺命で葬儀委員長を仰せつかり、先生の住職地である神奈川県鎌倉市の大慶寺で盛大に葬儀を行い、円覚寺管長足立大進猊下秉炬師の下、多くの塔頭寺院大僧が参列しました。

 同じ年の8月29日に母フジエが94歳で亡くなりました。戒名は「密用院長安寿光禅尼」。気丈な母でしたが、最期は寝たきりに。妻と副住職の長男と、週末には群馬県高崎市から実妹の仁美が介護に加わり、たまにしか帰郷できない私の心を支えてくれました。

一休和尚臨終の歌
 この夏はたまたま曹洞宗布教師会の一行と中国を旅行中で、訃報は上海のホテルで聞きました。母にはドライアイスを抱かせ、4日後に私の帰郷を待って葬儀。末期の水をとった長女の話では「自室のベッドで、カーッと一喝して息を引き取った」そうです。

 わずか2年余りの間に父、恩師、母の葬儀を行いました。今日の私を産み育ててくれた大切な人を送り、月日がたつにつれ「死にはせぬどこへもいかぬここにおる」と、弟子たちを励ました一休宗純和尚の臨終の歌の心が染みいります。

 また、ここ2年ほどの間に、恩を頂いた駒沢大学の総長・学長を務められた松田文雄、田中良昭、平井俊栄、奈良康明4先生の相次ぐ葬儀に参列しました。先生方の生前の温顔をしのびながら、この世の無常を思い、おのれの余生をどう生きるべきか、しきりに内省するこの頃です。
(聞き書き・船崎邦洋)

私の定年退職時、最終講義終了後の祝賀会で田中良昭先生(左)と=2012年1月・駒沢大学内で
 
池田魯参さん