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31 母なる桑10 ~古代の中国で 良寛さんもうっとりしつつ

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伊昔 東家の女
桑を采る 青郊の陲
金釧 銀朶を鏤め
素手 柔枝をひく
清歌 哀音を凝らし
顧面 光輝を生ず

 (「校注 良寛全詩集」より)

    ◇
 江戸後期の禅僧、良寛の漢詩だけれども、歌われている舞台は古代の中国だ。「校注 良寛全詩集」(春秋社)の著者で良寛研究者、谷川敏朗氏の現代語訳だと、こうなる。

 さて昔、東の家に美しい娘がいた。
 春の郊外のあたりで、桑の葉を摘んでいた。
 金の地に銀をちりばめた腕輪をして、娘は白くきれいな手で、しなやかな枝をたわめている。
 澄んできれいな歌声には、しっとりとした哀調がこもっている。
 流し目をすると、その顔はまぶしく輝くのであった。

 民謡の伊那節とよく似ていて驚く。あの〈桑の中から小唄がもれる〉である。詩はさらに続き、年を経て白髪となった身を嘆いてばかりいるのを戒めている。過去でなく、今あるがままに受け入れる大切さを説いて終わる。

 良寛らしい考え方だ。同時に、この詩の魅力が、いい声で歌いながら桑を摘む娘の生き生きとした姿にあることも争えない。

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 蚕糸王国への道が江戸時代末期の横浜開港によって開かれたために、私たちの目は、その後の蚕種や生糸の輸出先だった欧米に注ぎやすい。だが、もっと長い目で源流をたどれば、古代中国こそ蚕糸の故郷だった。

 養蚕がいつごろから始まったか、正確には分からない。出土品や伝承を通じ中国では、紀元前2700年ごろには、人の手で桑を与えて蚕を飼っていたとされる。

 良寛の詩は、そんなはるかな歴史の一場面を呼び覚ましてくれる。日本海を挟んで朝鮮半島、大陸へと、まなざしを向かわせる。

 文明の発達した古代中国を起点に西から東から、さまざまな物資の運ばれる交易路が開かれた。いわゆるシルクロード、絹の道だ。東へ延び、海を渡った先に日本列島がある。

 そういう視点で眺めれば、日本海側は文明の道に最も近い。信州だと、下水内や北安曇地方は入り口に相当する。

 蚕糸王国の遺産を伝える駒ケ根市の駒ケ根シルクミュージアムを訪れると、養蚕用具から製糸まで多彩な展示品が並んでいる。

 その中でひときわ鮮やかな朱色の金具が目を引いた。桑摘み爪だけれども、普通の黒っぽい地味なのと異なり、指輪と見間違うばかりだ。こんなにおしゃれな道具で桑の葉を摘んでいたのか―。

 古代中国の金の腕輪といい、古今東西、娘心は変わらない。なぜか無性にうれしかった。

 一口メモ 〔桑摘み爪〕
 桑の葉を収穫する道具の一つ。多くは鋼鉄製の刃と人さし指にはめる輪からなる。親指との間に葉柄を挟み、一枚一枚摘み取る。忙しく根気の要る作業だった。

上=色鮮やかな桑摘み爪(駒ケ根市シルクミュージアム)
下=〔桑の踏ん張り〕  看板もかなわん=長野市若槻東条
 
蚕糸王国うた紀行