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03 長野工業高校時代 ~「ものづくり」の思い 機械班で仲間と共に

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 努力すれば大学に進学できると、一時は長野北高(現・長野高)を目指しました。

 けれども、窯元といっても6人の子どもを抱えているわけですから、家計も決して楽ではなかったはずです。両親の苦労する姿を目の当たりにしていたので、2年生の時に大学進学をあきらめて、高校卒業後は、家業以外の「ものづくり」に携わる仕事をしたいと思い、長野工業高校に進むことを決心しました。

 小学生の頃は図画工作が好きでしたし、中学の授業では理科が得意だったこともあり、技術系に進もうと思ったのは、当然の成り行きだったのかもしれません。

晴れ舞台で実演
 長野工業高校の機械科に合格し、自宅から自転車で通学を始めました。当時の校舎は、今は長野バスターミナル、八十二銀行本店がある場所にありました。

 朝、登校途中の中央通りでは、北の方向へ向かう長野北高校、長野西高校、長野商業高校の生徒たちとは逆方向に行くので、最初の頃は何となく気まずい思いをしました。

 男子校ゆえのバンカラ気風も多少残っていて、中には相当やんちゃな生徒もいました。私もその気になって、高歯のげたで通学したこともありました。

 授業は普通科目に加えて、学年が上がるにつれて専門科目が増え、さらに、機械実習も加わっていきました。授業以外に、クラブ活動も盛んで、機械班に籍を置き、日ごろふれ合えない先輩方との交流も楽しみでした。

 1年に1回開催される学校開放は、それまでの自主研究や、作品を発表する晴れ舞台でもありましたので、完成に向けて仲間と必死に取り組みました。

 機械班の持ち物の中に、富士重工(現・スバル)が製造販売したラビット(スクーターの商品名)の最高級モデルで、トルクコンバーター搭載の中古スクーターがありました。そのトルクコンバーター機構と授業で習った無段変速機の一種で、スクーターに搭載されていた流体クラッチを模型で再現し、実演展示しました。しかし、理論の解釈が思うように伝わらず、拍手喝さいという結果にはなりませんでした。

 ただ、機械班全体では、恒例で名物でもあった模型の電車を走らせたコーナーが毎年人気でした。

 2年生の冬に初めて、スキーを体験しました。幼い頃の冬の遊びといえば、竹スキーと手作りソリ、そして下駄スケートでした。

妙高1泊でスキー
 スキーは平林街道で走る車につかまって滑ったり、高土手の坂を探しては滑ったり。複雑な曲がり角が続く七曲の坂まで出掛けたこともありました。

 スケートは善光寺裏のツバメ池で滑るなど、当時はそんな遊びが当たり前のようにできたのです。

 級友が新潟県の田口(妙高市)から通学していて、冬休みに「遊びに来ないか」と声を掛けてくれました。

 彼の実家のすぐ近くには杉野沢、茅場といった有名なスキー場がありました。スキーの本場に住んでいた彼は、幼少の頃から慣れ親しんだ遊びも本格的で、街中で滑っていた竹スキーヤーの私は、足元にも及びませんでした。

 それでも、何度も転びながら滑りまくりました。忘れられない1泊2日の楽しい思い出です。
(聞き書き・塚田裕文)
(2018年5月26日掲載)

写真=長野工業高校時代の私
 
小笠原多加夫さん