
北信地方の渓谷で、クモマツマキチョウが軽やかに優雅に舞う。オス特有のオレンジ色のきれいな羽をちらつかせながら、低空で周回。時折、スミレの花に止まって蜜を吸う。
シロチョウ科のクモマツマキチョウは、羽を広げると、4センチほど。本州中部の山岳地帯の渓流沿いの草地などに生息する。県内では北アルプス・戸隠亜種と南アルプス・八ヶ岳連峰亜種に分類され、それぞれの山域で独自の進化をとげた氷河期の遺存生物とされる。
私が最初に出会ったのは1986年。南ア北岳の登山道の沢筋だった。突然、目の前にあった20センチ余のアブラナ科の小さな白い花に止まった。20年余が過ぎた2008年、北アの渓谷で再会。その前年に、北信のこの場所に何度も足を運んだが、空振りだった。生息場所や発生期が限られ、簡単に撮影できないだけに、10年ぶりの今回の出会いは感慨深い。
県版レッドリストでは、北ア・戸隠亜種が準絶滅危惧種、南ア・八ヶ岳亜種が絶滅危惧Ⅱ類。ともに県天然記念物で捕獲できない。県希少野生動植物保護条例で南ア・八ヶ岳亜種だけだった指定を、16年に北ア・戸隠亜種を追加。採集が後を絶たず、「両亜種の一体化した保護が必要との判断」(県自然保護課)という。
高山蝶の研究や細密画で知られる田淵行男さんは、「日本アルプスの蝶」(1979年、学習研究社刊)で、戦後間もなく、常念一ノ沢で朝霧の中に突然現れたクモマツマキチョウに出会った感激をつづった。その後は見掛けず、ほかの場所についても「耳にするのは衰退ぶりだけ。私には日本の山が大切な(白)(びゃく)(毫)(ごう)を失ったような寂しさを覚える」と結んでいる。
(2018年6月9日掲載)
写真=スミレの花で蜜を吸うクモマツマキチョウのオス=北信で2018年5月撮影