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212 善光寺大本願 ~宝物殿で見る歴史のドラマ

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 善光寺信仰の大切な原点は女人信仰である。創建以来の尼僧寺院である大本願には、お上人さまがおられる。境内の宝物殿には、それを強く感じさせてくれる展示品がそろい、興味深い。

 大本願の歴代上人は天皇家と縁が深い宮家から入信される。幕末、14代将軍徳川家茂(いえもち)に嫁いだ皇女和宮の衣装や身の回り品・豪華な什器はその一つだ。大本願に寄進され、宝物殿に展示され、一点一点が激動の時代と和宮のドラマを思い起こさせる。

 和宮は孝明天皇の妹。公武合体の機運を背景に、有栖川宮(ありすがわのみや)との婚約を解消され、家茂に「降嫁」することになった。1861(文久元)年、和宮らの一行は旧暦10月20日に京都をたち、中山道で江戸へ向かう。

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 降嫁の行列が中山道宿場に泊まった記録が、長野県内の各地に残る。当時の信濃では、最大の出来事だった。巻き込まれた中山道沿いでは、「過酷で無体な労役」としても語り継がれている。北信濃でも労賃の借財に苦しんだ村方(むらかた)記録が数多くある。

 長野市の「長沼村史」には、一行は長野県内に8泊して上州坂本宿へ行った―と記されている。そして「この地方の人足は日々1万4千人、馬2千疋(頭)、馬子2千人」「人足は各藩の持ち場の要所に小屋がけをして寒気を防いだ」「長沼から出た人足や役人は100人を下らなかった」などとある。

 1877(明治10)年、31歳で生涯を閉じた和宮は、家茂と同じ、東京都港区の東京タワー下の増上寺に眠る。

 和宮降嫁から江戸城開城、明治新政府の誕生と、歴史は激動する。善光寺宝物殿では、大正天皇とともに、明治天皇の軍服を見ることができる。一見して小さいのに驚く。

 黒地に金飾りがぎっしり並ぶフランス式天皇軍服は、権威の表徴としてデザインされた。長年展示を担当した元職員は「非常に重く、布地の老朽が進み保存も危うい状態だ」と説明する。

 写真嫌いだった明治天皇の身長は、伝えられるところでは、162センチであった。白馬にまたがる肖像が有名だが、重い軍服には一汗かいたことだろう。

 女人を救う大本願は、江戸時代初期から春日局ら大奥の尊崇を集めた。薄幸の大奥女性たちは、死後の冥福を託し、石の地蔵尊台座に自分の名前を小さく刻印した。近年、刻印が解明され、実在した女性たちと照合されている。

 「善光寺信仰の真髄は『悲しみを癒やす』。突然の不幸や愛する人との別離のためにどん底にいる人々を救い、癒やす―。ただそれだけの寺」。達観というべきか、定例の写経に通う参道商店のおかみさんの感慨である。
 (宝物殿の入館料は500円、小中高生100円)

(2018年6月23日掲載)

写真上=宝物殿に展示されている明治天皇の軍服

写真下=台湾産の総ヒノキ造りの本誓殿
 
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