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33 母なる桑12 雨にも負けず ~小学生も頼れる働き手に

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  桑の葉

雨のふるなかを
くわをつんでとおっていく
足でピチャピチャと
水玉をとばしていく
つまない桑からは
雨のしずくが ポットリ
ポットリおちる
はねあがって土にあながあく

          増田栄道
          (上水内郡栄小5年)

 蚕は人が摘んで与える桑だけを食べ、成長する。自力でえさを獲得することはできない。だから蚕を飼うからには、家中で役割を担う。増田君がずぶぬれになり、桑摘みに励んだのもそのためだ。

 詩はさらに続く。

桑をひとびく(かご)つむのに
なん時間かかるだろう
なん十グラムのかいこに
どのくらいの桑がいるだろう
ほんとうにおひゃくしょうさんは
ごくろうだ

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 この詩は、1953(昭和28)年1月発行の「綴方風土記第4巻 東海・長野・山梨編」に掲載された。

 上水内郡栄小は、今の長野市中条、当時の上水内郡栄村の小学校である。55年2月、栄村と日里村が合併し、中条村が誕生した。4年後、中条小学校と改称されている。

 10歳そこそこの小学5年生が雨の中、大人顔負けの働きぶりだ。一つ一つの表現が具体的でまざまざと伝わってくる。実際に体を泣かせたからこそ、今なお人の心をとらえる。

 「まるであのころの自分そっくりだ」。詩を一読した長野市松代町東条の小林正さん(76)が目を潤ませた。3歳で父親を亡くしている。長男でもあり、幼くして母親の農作業を手伝った。小さな体に力仕事がのしかかる。

 桑の葉を摘んでは大きな竹製のかごに詰める。背負えば、ひもが肩に食い込んできた。一歩踏み出すたび、ずしっとひざに響く。

 枝ごと運ぶときはリヤカーに積む。ハンドルを持ち上げ、荷台の下の棒を地面に押し付け、ブレーキにして山道を下っていく。リヤカーごと転がり落ちそうな怖い思いの連続だった。

 小林さんの蚕飼いは62(昭和37)年まで続いて終わる。高校卒業時、国家公務員試験に受かり、養蚕自体も不況で限界だった。桑畑には杉の苗を植える。

 それから約50年、尼巌山(781メートル)の山すそへ足を運べば、大きく育った杉の木立が真っすぐ伸びている。

 「ここら一帯、すべて桑が茂っていた。夜中に葉を摘んでいると、キョッキョッキョッ...。頭の上をヨタカが飛び回るので、気味悪く怖かった」

 そんな話に耳を傾けながら、しみじみ胸熱く納得がいった。一人の少年が成長する節目節目、母なる桑は、厳しく励ましては背中を押していたのだ、と―。

写真上=桑に代わって育った杉林
下=雨にぬれて折り重なる桑の葉

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 一口メモ 〔各農家の養蚕の規模〕
 主には、それぞれの働き手の人数と確保できる桑の量で決まる。蚕の卵1箱=10㌘=2万粒が基本単位とされ、グラム数で養蚕の規模が分かった。

(2018年6月2日掲載)
 
蚕糸王国うた紀行