
アルピコ交通上高地線は、松本駅から西へ、14駅・約14キロを30分で結ぶ。1921(大正10)年、筑摩鉄道として一部が開業し、翌年に当時の終着駅「島々」まで全通。梓川沿いのダム建設の資材運搬にも役割を果たした。
1983(昭和58)年、台風による土砂災害で新島々から先が不通になり、復旧することなく廃止。終点は新島々になった。
松本駅では、JRと共通の改札を入って西端のホームに降りる。車両には、長野市でもバスで見るアルピコ交通のレインボーカラーが塗られ、美少女キャラクター「渕東なぎさ」が大きく描かれている。
電車は住宅街と田園地帯をのんびり走る。乗客は沿線住民のほかにリュックを背負った観光客が目立ち、中国語の上高地ガイドを手にした夫婦や、東アジアから訪れたらしい修学旅行生たちもいた。
新島々駅(松本市波田)からは、上高地、乗鞍高原、白骨温泉の各方面にバスが出ている。今回は一つ手前の渕東方面へ、住宅地や田んぼの中を歩く。梓川から取水した幅2メートルほどの農業用水「波田堰」を豊富な水が流れている。のどかな田園地帯だ。
渕東から南へ坂道を上ると、上波田地区の集落がある。飛騨高山へ抜ける旧野麦街道に沿う中世の城下町だ。
ここには、幕末まで一帯にあった若沢寺の遺構が残る。若沢寺は、付近の広大な山地に堂宇が並んだ真言宗の密教寺院で、その荘厳さから「信濃日光」と呼ばれた。明治の廃仏棄釈で破壊されたという。
阿弥陀堂の境内にある重要文化財「田村堂」は、室町時代に造られた若沢寺の一宇。阿弥陀堂の仁王門には、県宝の木造金剛力士像がある。仁王像の股の下を幼児にくぐらせると、はしかが軽く済むという言い伝えがある。
城下町は、石畳の道路沿いに趣のある塀と屋根の意匠に特徴のある旧家が並ぶ。修景事業は、2003~08年に当時の波田町と住民組織が行った。ほかに歩く人はいなかったが、景観の美しい知られざる観光スポットだった。
大庭駅(松本市島立)から1キロほどの所には、「松本市歴史の里」がある。昨年重文に指定された旧松本区裁判所庁舎や、野麦街道沿いの奈川にあって製糸工女を泊めた宿など、5つの歴史的建造物を敷地内に移築。松本地域の歴史にふれることができる。
同線は上高地の入り口とはいえ、乗客はそれほど多くない。松本市やアルピコ交通は、海外誘客に力を入れ始めたという。貴重な鉄路が未来に残っていくことを祈った。
(竹内大介)
(2018年6月9日掲載)
上=水田の中を走る上高地線
下=城下町の趣がある上波田地区の町並み