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09 結婚 ~ひと目ぼれした相手 妻が献身的に母介護

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 後に妻となる徳永栄子は長野西高校時代、バスケットボール部に所属していて、全国高校総合体育大会(インターハイ)ベスト8という実績の持ち主でした。

 卒業後も実業団でバスケットを続け、福井国体にも出場経験があり、スキーの準指導員資格も持つ彼女は、まさにスポーツウーマンでした。私は好意を抱き、結婚を意識するようになりましたが、実家がとても迎え入れられる環境ではなく、なかなか踏み込めませんでした。

 というのは、母が40代後半に脳出血で倒れて以来、10年余り入退院の繰り返し。家では床に伏していたのです。さらに、6人きょうだいの私には、大勢の小姑(こじゅうと)も心配でした。

印象深い盛り上がり
 ある日、意を決して彼女に打ち明けました。すると、全てを理解し、了解してくれたのです。晴れて1972年4月、私が30歳、彼女が25歳の時に結婚しました。

 結婚式・披露宴は、長野市権堂町の老舗料亭、富貴楼で行いました。高校の同級生や会社員時代の仲間、そしてスキー仲間ら、招待客に盛大に祝っていただきました。歌あり、踊りあり、さらに木遣(きや)りまで登場するなど、あまりの盛り上がりに、富貴楼の人たちから「今までにこんな式は見たことありません。皆さんは何者ですか」と驚かれるなど、印象深いものになりました。

 新婚旅行は京都、奈良に行きました。神社仏閣が多い土地柄ですから、どこへ行っても、仕事のための参考に―と、屋根を見上げて瓦を見ていました。新婚の雰囲気とはかけ離れたその時の様子を、今でも妻からこぼされます。

 これまで、妻に感謝することはたくさんあります。中でも、嫁に来てすぐ、体の不自由な母の介護を献身的にしてくれたことに頭が下がります。

 私たちが結婚してわずか3カ月後に、母は息を引き取りました。初孫の顔を見せることはできませんでしたが、翌年の冬に無事、長男の勝之が誕生しました。

 その知らせは、戸隠の中社にあるスキー常駐宿で聞きました。今の時代は、夫が出産に立ち会うのが当たり前のようですが、スキーに明け暮れていたため、2回程度しか見舞いに駆け付けなかったので、事あるごとに「この薄情者」とあきれられています。
 長男が誕生した時、父の小学校時代の友人で、歌や詩をたしなむ人にすてきな歌を詠んでいただきました。

 「梅の花 香る良き日ぞ藩主我 小笠原勝之初登城する」

親子3人が同じ日に
 2年後の春には長女理香、その3年後の春に次男晋が誕生しました。命名する際に、こだわりがあり、伯父夫婦に幾つかの候補を挙げてもらい、妻と選びました。

 当時驚いたことがあります。月は違うものの、3人の出産予定日が私の誕生日と同じ17日だったことです。長男と長女は予定日通りでしたが、次男は10日も早かったので、親子4人の誕生日がそろうところまではいきませんでした。

 ひと目ぼれした妻と結婚し、3人の子宝にも恵まれましたが、決して順風満帆ではありませんでした。実は結婚する1、2年前から、店の中が騒がしくなっていて大きな試練に直面していました。2人の葺(ふ)き職人の退社、独立です。
(聞き書き・塚田裕文)
(2018年7月7日掲載)

写真=結婚式で妻の栄子と
 
小笠原多加夫さん