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11 かわらぶき技能検定 ~一気に技術革新進む 県内業界の一本化へ

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 業界紙を通じて、長野の瓦技術を取り巻く環境が、全国とかけ離れていることに衝撃を受けていた1978年。「個人の技能を一定の基準によって検定し、これを公証する国家検定試験」という、いわゆる瓦(葺)(ぶ)き技能検定試験が、全国に遅れること6年、ついに行われることになりました。

 実技と学科があり、受験資格は1級が12年以上の実務経験、2級が3年の実務経験が必要といった内容です。まず、中南信で全県を対象に実施。翌年は全県で行われ、父が第1回と2回の技能検定員を務め、私は第2回に1級を受験し、無事合格しました。

 この検定では、屋根の形をした架台に瓦を葺き上げる実技で、鏨(たがね)を使って瓦を切る、削るといった加工を、必要不可欠な基本技術としていました。
勉強会を立ち上げ

 しかし、私たちの北信地区では、軒先に使う剣の下端が平らな一文字瓦を施工することが少なく、一部を除いて鏨を日常的に使う技術はなく、このままでは検定に合格することは難しい状況でした。

 そのため、北信地区として、検定の1年前から技術のレベルアップ、作業の標準化を目指して、私たち若手が中心となって勉強会を立ち上げました。また、三州の瓦メーカーの紹介で、愛知県の検定員を務めた榊原一二三氏を講師に招き、西三河の見事な鏨技を披露してもらいました。

 こうした取り組みによって、今日に至る鏨技術の基礎が築かれたと言っても過言ではありません。

 父が特殊瓦の加工に、石工が使う細工用の小型の鏨と金剛硯石を用いていたのも、私が鏨技術を習得するのに大いに参考になりました。

 検定試験の導入で、県内の技術革新も一気に進みました。県内4地区(東、北、中、南信)の検定委員の交流も始まり、県瓦組合連合会(県瓦連)の設立機運が高まってきました。そのため、唯一組合がなかった北信地区での組合設立が急がれました。

 検定委員でもあった田町の小柳薫氏が中心となり、私も事務局として、組織化に奔走しました。長野、須高、中野、松代、信州新町、篠ノ井、川中島、更埴といった北信の各地区にはもともと、独自の活動組織があったので、わずか1カ月余りで設立にこぎつけることができました。
組合連合会創立

 県内初の検定試験から4年後の1982年、組合の設立総会が権堂町で開かれました。さらに同年、長野県瓦事業組合連合会の創立総会が松本で開催され、県の瓦業界が一本にまとまりました。しっかりした対外的な窓口ができたことで、県の瓦業界も一人前の姿になりました。

 組合活動にも携わるようになると、思わぬ障害が生まれました。活動の繁忙期がスキーシーズンと重なるのです。

 長野工業高校時代に初めて体験したゲレンデでの滑りに始まり、富士重工の会社員時代に関わったスキー板の開発、雪友会、長野市スキークラブで指導員として活動したことなどの本格的なスキーとは、決別せざるをえなくなったのです。そして、夫婦が出会うきっかけにもなった指導員の資格もそれぞれ返上。以来、「サンデースキーヤー」になりました。
(聞き書き・塚田裕文)
(2018年7月21日掲載)

写真=大豆島の職業訓練センターで行われた技能検定(10数年前)
 
小笠原多加夫さん