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23 子どもたち ~自ら決めた道を歩む 安心と同時に感謝も

 小笠原瓦店3代目の父を受け継ぐことを決めたのは、6人きょうだいで長男の私だけが男ということもあり、姉に説得されたからです。

 7年間、富士重工業でサラリーマン生活を送り、好きなスキーができると、自分に言い聞かせるように長野に戻ったのが1967年。それから店に入り、80年に代表取締役に就任するまで、紆余曲折がありましたが、今度は自らが5代目の後継者選びをする立場になりました。

 長男の勝之が長野高専の学生の時に、次男の晋も交え「大して財産もないが、店を継いだ者に全てを渡す」と話したところ、勝之は「俺はほかにやりたい事がある」と答えましたが、5歳下の晋は、「俺がやる」ときっぱり答えてくれました。

次男が5代目に

 5代目の晋は長男と同じ長野高専を98年に卒業すると同時に、店に入りました。瓦技術の研さんを地道に積み重ね、2007年の県大会で1位に輝くと、09年の25回技能グランプリ兵庫大会に出場し、敢闘賞を獲得するなど成長した姿を見せてくれました。

 振り返れば、晋のキャリアもあっという間に20年です。16年4月に、晋に店の代表をバトンタッチすることになりました。子どものころに「俺がやる」と発した時の光景を思い出すと、感慨深いものがあります。

 「ほかにやりたいことがある」と話した勝之は、長野高専電気科を卒業した次の日に、何と渡米。救急救命士の学校に1年間通学し、さらに2年間米国に滞在し、専門学校に通いました。一時、帰国したものの、今度はモロッコへ3カ月間出掛けました。帰国すると、数カ月、私の店の手伝いをして、またモロッコやペルーへ出掛けるということを10年近く続けました。

 それから、アンティークなものが好きという趣味が高じて、屋号を「銀猫」という名前で、古物販売の店を善光寺近くで始めることになりました。店頭に所狭しと並べられている物は、明治、大正、昭和の懐かしさを感じさせる品物がほとんどですが、中には骨董品もあります。

 ただ、私の下で10年以上手伝ったことで培った瓦葺きの技術を生かし、住宅の瓦屋根の葺き替えや修理工事も請け負っています。やはり、蛙の子は蛙です。

長女も夢をかなえる

 長男は40歳の時に、インドで知り合った日本の女性と結婚。3歳の娘と、1歳半の男の子にも恵まれました。
 長女・理香は、東京の大学で英文学科を専攻していましたが、「料理の道に進みたい」と言い出し、1年間調理師専門学校に通いました。突然の方向転換でしたが、夢をかなえたのか、現在は和食調理師として、長野市内で張り切ってやっています。そして、この9月には全国技能士会連合会の日本料理のマイスターに認定されました。また、次男の4年生の男の子は今、サッカーに夢中です。

 私もサラリーマン生活を続けていたら、どういう人生を迎えていたか分かりません。偶然に出合ったスキーに没頭しながら長野に帰ってきたことで、妻に出会うことができました。

 3人の子どもたちも、自ら決めた道をしっかり歩んでいるようなので、安心すると同時に、感謝しています。
(聞き書き・塚田裕文)
(2018年10月20日掲載)

写真=長男の留学先米デンバーで、長男の愛車ビートルとともに、長男、妻、次男、長女(左から)
 
小笠原多加夫さん