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39 飯山 ~城下町で「飯山戦争」しのぶ

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 飯山へは、長野駅からJR飯山線で50分ほど。2015年に金沢まで延伸した北陸新幹線では1駅、たった11分で着く。延伸に伴い、駅は飯山線と新幹線が交わる300メートル南に移転。駅前は再開発で広々としたが、人の姿は少ない。

 飯山市街地は、飯山城の城下町。為政者の保護を受け、市街地に20もある寺院や、関連する仏壇産業に特徴がある。

 寺は街なかに点在するほか、市街地西側の高台に一列に並ぶように集まっている。人一人分の幅の「寺巡り遊歩道」を歩くと、次々に趣の異なる寺が現れる。境内が一面のモミジに覆われた称念寺は、圧倒的な紅葉で参詣者を迎えていた。

 真宗寺は、島崎藤村の小説「破戒」で主人公瀬川丑松が下宿した「蓮華寺」のモデル。藤村が取材で何度か訪れたという。本堂わきに、「破戒」冒頭の自筆原稿をレリーフにしてはめ込んだ石碑が立つ。

 遊歩道下の愛宕町雁木(がんぎ)通りは、通称「仏壇通り」。仏壇店や職人の家が軒を連ねる。黒い漆塗りの地に金色の精緻な蒔絵(まきえ)や金具が施された仏壇は、職人の分業による芸術品。美しさにため息が出る。静かな通りに、彫金職人のつち音が響いていた。

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 あちこちの菓子店で「バナナボート」が売られている。バナナと生クリームをスポンジで挟む。市内菓子店が約40年前に発売して広がり、市民に愛されている。素朴な甘味が懐かしさを感じさせる。

 飯山城は、上杉謙信が1564年、武田信玄と対峙(たいじ)するための前線基地として、本格的に築城。江戸時代は飯山藩の藩庁となった。

 石垣が残り、桜の名所にもなっているが、今は復元整備工事で、奥まで入れない。市がやぐらや門などを江戸時代末期の姿に復元し、歴史公園にするという。

 城周辺では150年前、砲弾が行き交い、町の大部分が焼失した。戊辰(ぼしん)戦争の戦いの一つ、「飯山戦争」だ。

 1868年4月、旧幕府勢力の「衝鋒隊(しょうほうたい)」約600人が高田から富倉峠を越えて城下へ進軍。飯山藩に旧幕府軍の支援を要求した。家臣団200人の小藩はこれを撃退できず、全面対決を避けるために松代藩など新政府軍による救援の申し出も断ってしまう。業を煮やした新政府軍が衝鋒隊を攻撃。衝鋒隊は飯山城へ入ろうとして飯山藩軍の攻撃を受け、富倉峠へ退散した。

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 飯山市ふるさと館は12月16日(日)まで、「飯山戦争から150年」展を開催。村人が藩境で衝鋒隊の侵入を見張る役に就かされたり、衝鋒隊に布団を提供させられたりと、庶民が巻き込まれた戦いの実像を紹介している。
(竹内大介)
(2018年11月10日掲載)


写真上=「寺巡り遊歩道」沿いの寺の一つ、本光寺。三水の用水路開削などに尽くした飯山藩士・野田喜左衛門の墓がある

写真下=仏壇店が軒を連ねる「仏壇通り」。瓦ぶきの雁木が趣ある景観をつくっている
 
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