
浅間山の南麓に位置し、江戸時代には中山道や北国街道が通っていた御代田町。1875(明治8)年に「田」の付く4つの村が「維新の御代」に合併したことにちなみ、御代田村と名付けられ、合併を経て町になっている。
同町の北側に広がる傾斜地は古代より馬の産地で、平安時代には「塩野牧」と呼ばれた。また、同地は縄文時代の遺跡が集積し、豊かな装飾が特徴の国重要文化財「焼町(やけまち)土器」が数多く出土している。
しなの鉄道御代田駅で下車し、北へ歩いて、旧北国街道へ。古い家並みが連なるここは、追分と小諸の中間に位置する、「間宿」と呼ばれる旅人の休憩地だった。
道を外れて北へ向かった。かつて牧があったとされる、広く緩やかな傾斜地の正面には浅間山が雄大な姿を見せる。

やがて小さな集落へ入った。牧の名を冠した塩野地区だ。昔ながらの風情を残し、かやぶき屋根の家も何軒かある。同地区では毎年2月上旬、子どもたちがわら駒を引いて練り歩く道祖神祭りが行われている。
地区の西北にある古刹・真楽寺へ。大きな杉に囲まれた同寺は、毎年7月最終土曜日に行われる「龍神祭り」が有名だ。県宝の三重塔の前で勇壮な竜の舞いが繰り広げられるが、今年は台風の影響で惜しくも中止となった。
東隣に焼町土器が出土した川原田(かわらだ)遺跡がある。1990年に発掘調査が行われ、縄文中期(約4500年前)の竪穴式住居跡が45件も見つかった。標高は875メートル前後で周囲は浅間山の湧水に恵まれ、植林のカラマツに交じってコナラなどの落葉樹が生えている。

最後に浅間縄文ミュージアムへ。町内で発掘された約1万3000年から2500年前の土器や石器を中心に、県内の縄文文化を紹介している。一番奥の部屋には川原田遺跡から発掘された焼町土器が一堂に展示されている。ドーナツ状の飾りや曲線文様に特徴があり、塩尻市の焼町遺跡で初めて発掘されたことからこの名が付いた。東は群馬まで分布し、広く交流があったことをうかがわせる。
また、同館では縄文土器や勾玉の製作体験が人気という。予約は不要で、受け付けに申し込む。入館料とは別に料金がかかり、土器の大きさや勾玉の材質によって料金が違うので問い合わせるとよい。
今回の旅は縄文中期の派手やかな土器の魅力に目覚めた旅だった。いつか各地の縄文土器巡りをしてみたい。
(森山広之)
(2018年12月8日掲載)
写真上=浅間縄文ミュージアムで展示されている川原田遺跡出土の焼町土器
写真下=縄文時代の川原田遺跡があった塩野地区の傾斜地。発掘調査後、農地へと整備された。すぐ北に浅間サンラインが通り、浅間山がそびえる