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08 帰郷後 ~バンドで演奏続ける 権堂のクラブ専属に

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 1953年に上京してから1年余、クラブのバンドや旅回りの後に、須坂に帰郷し、実家の理容室をまじめに手伝っていました。ただ、土日曜に限り、かつてのバンド仲間とダンスホールで演奏をしていました。

 上京する前から、ダンスホール以外でも演奏はしていました。信越放送(当時・信濃放送)でラジオの本放送が始まり、日本の復興への願いが込められていた番組がありました。その中で、伊藤久男さんが「建設の歌」を歌っていて、「佐藤博道とSBCアンサンブル」というバンドが伴奏をしていました。

 実は、私もそのバンドの一員として参加していました。当時の記憶ははっきりしませんが、佐藤さんに声を掛けていただいたのだと思います。数回、各地に出掛けて収録したことを覚えています。

華やかな時代

 NHK長野放送局でも昼の軽音楽番組をやっていました。月に1、2回、犀川幸男さんのバンドが出演されていて、私もたびたび、メンバーに加えてもらいました。犀川さんは、アコーディオン、ピアノもこなす一流の演奏家で、私も含めて多くの人から尊敬されていました。ですから、一緒に演奏できたことは本当に光栄なことでした。

 そのころ、長野市の権堂駅は、今とは違って地上駅で、2階に「ユニオン」というキャバレーがありました。犀川さんのバンドはそこでも演奏をしていたので、私も時々、お手伝いに行かせていただきました。

 バンドは、アコーディオン、トランペット、ギター、ドラムという構成で、最終電車まで演奏していました。キャバレーの下が駅ですから、踏切のチンチンという音が聞こえてから下に降りていっても、電車に十分に間に合いましたから、助かりました。

 また、須坂にも「浜口庫之助とアフロクバーノ」というバンドが訪れました。あの「ハマクラさん」がマラカスを振りながら歌う姿は、とっても格好良くて、ご機嫌な演奏でした。

 バンド演奏がとても華やかな時代でしたから、私のギター熱が衰えるわけはありません。帰郷してから3年ほどたったころ、権堂に「クラブ・ニューゴンドー」が新たに開店し、専属バンドメンバーとして入店することになりました。

 音楽をどうしてもやりたかったのだと思います。もちろん、理容室の仕事は続けました。

お客さまが歌う

 結局、20年近くニューゴンドーでお世話になり、私の大きな後ろ盾になってくれました。お店は開店すると同時に満席になるくらいの人気店。ホステスさんやボーイさんが忙しく飛び回っていました。11月末ころからクリスマスソングが流れ出し、12月に入ると、毎日がクリスマスのような雰囲気でした。

 「バンドの演奏で歌える」というお客さま参加型のコーナーがありました。今のカラオケのようなものでしょうか。「ラバウル小唄」や「かえり船」「お富さん」などのリクエストが多かったと思います。

 有名歌手も出演していました。池和子(日吉ミミ)さん、林伊佐緒さん、霧島昇さん、灰田勝彦さん、岡晴夫さんなど、そうそうたる顔ぶれでした。大変うれしく、楽しい時期でもありました。
(聞き書き・塚田裕文)
(2019年1月1日掲載)


写真=須坂市の六角堂祭礼演芸大会で演奏=1949年10月、後列右から3人目が私