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43 高崎(群馬県) ~市街地再開発が進む商都

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 高崎市は関東平野北部に位置し、江戸時代から中山道をはじめ、街道が交わる商業の町として栄えてきた。高崎駅には群馬県内の鉄道各路線が集まり、今も同県の「交差点」だ。

 高崎の名前は、徳川家康の家臣・井伊直政が付けた。家康から西の守りとしてこの地を与えられ、烏川の断崖上にあった和田城を1598(慶長3)年に改築、高崎城と改めた。城下町が形成されたのは、1619(元和5)年以降に城主となった安藤氏の時代からだ。

 同市の人口は約37万人で長野市とほぼ同じ。現在、市街地の再開発が進められ、駅東口を中心に、大型の公共施設やマンションの建設ラッシュが続いている。

 長野から高崎までは北陸新幹線で行くか、しなの鉄道軽井沢駅でジェイアールバスに乗り換え、碓氷峠を下って横川駅から信越線を使う。滞在時間確保のため、行きは新幹線を利用した。

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 駅から東へ歩くと、大きなガラス張りの建物が見えてきた。今年9月にオープンする「高崎芸術劇場」だ。2030席の大劇場や、多目的施設を持つ芸術拠点で、駅から直接デッキで結ばれる。こけら落としは地元が誇るオーケストラ・群馬交響楽団がベートーベンの交響曲第9番を演奏する予定だ。

 北に向けて歩くと、「長野堰」と呼ばれる水路に出る。平安時代に開削されたと伝わる水路は、高崎や下流域にとって重要な水源だった。途中にある「円筒分水」は水流を平等に4分割するための珍しい土木設備だ。

 高崎市少年科学館から南下し、旧中山道高崎宿跡へ。4車線に拡張された道路沿いの建物はほとんどが昭和以降に建て替えられ、江戸時代の商家はわずかに残るのみだ。

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 高崎城は明治維新後、旧陸軍歩兵第十五連隊の駐屯地に変えられ、本丸と二の丸は壊された。今は学校や公共施設などが立ち並び、三の丸の堀と土塁が残るのみで何とも惜しい。

 城跡に建つ市役所の21階は一般に開放され、大パノラマが楽しめる。西の浅間山から榛名山、谷川岳、赤城山、関東平野が一望できる。

 すぐ隣には、軽井沢高原教会を手掛けた建築家・アントニン・レーモンドが設計した「群馬音楽センター」がある。日本の代表的モダニズム建築として知られるが、今年で築58年。高崎芸術劇場の開館を目前に控え、今後の動向が気になる。

 最後は商店街一帯を散策した。商業施設は駅西口周辺に集中し、マンションが林立する。駅から離れると住宅に交じってレンガの蔵や、古民家を改装した店もある。再開発は途上の感だが、今後どう変わっていくのか気になる街だ。
(森山広之)
(2019年3月9日掲載)


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写真上=高崎市役所21階展望ロビーから見た高崎市街地。左下の高崎城三の丸に群馬音楽センターがある。中央に商店街、正面遠くに赤城山と前橋市街地が見える。
中=今年9月のオープンに向け、建設が進む高崎芸術劇場。
下=かんがい用水を4等分するための「長野堰円筒分水」は1962年製だ

 
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