
市街地から、国道19号を走ること40分ほどの信州新町地区。犀川のほとりにある長野市立博物館分館信州新町美術館は、ユニークな歴史と3千点近い収蔵品を誇る。1982年10月に開館。収蔵品は、本人や地元篤志家からの寄贈で、水彩や油絵の風景画が中心だ。長野市内で活躍した懐かしい画家たちの作品がそろう。
農家や田園風景の西沢今朝夷さん(1929~2014年)、花とチョウと静物の水上民平さん(1898~1994年)、1944年に長野市へ疎開し、そのまま晩年の20年間を同市で過ごした飯田市出身の横井弘三さん(1889~1965年)のほか、帝展や日展で活躍した画家たちや二科会重鎮の作品が並ぶ。
この3人とは家族ぐるみの交流をした市民も少なくない。稚気(ちき)あふれる作風で、「日本のルソー」とも呼ばれた横井さんは「売る絵ではなく、与える絵」を理想とし、作品をファンに残した。
横井さんは52年に約3カ月、旧水内村(長野市信州新町)の小学校宿直室に寝泊まりし、村民や児童と交流しながら30余点を描いた。
水上さんは小学校などの教員をしながら制作を続け、暗い情念が燃えるような画風を再評価する美術愛好者も多い。西沢さんはJRの車内ポスターで知られる。心休まる風景を描いた作品は、乗客の郷愁を誘ったことだろう。応接間の逸品にしている家庭もある。

同美術館の隣にあるのは「有島生馬記念館」だ。有島生馬さん(1882~1974年)が過ごした神奈川県鎌倉市にあった洋館を、当時の所有者である上智大学から譲渡を受けて移築。信州新町内外から寄付を募り82年に開館した。古びてはきたものの、健在だ。
絵画と文芸で大正ロマンを先導した有島兄弟にふれることができる。生馬さんはセザンヌを日本へ初めて紹介した画家で、水内ダム湖を琅鶴湖(ろうかくこ)と名付けた。長兄の有島武郎さん、末弟の里見弴(とん)さんは小説家として名をはせた。
犀川沿いの農山村である信州新町に、なぜこれほどの文化的財産が備わっているのか。そこには、「フランスではどんな小さな村であっても美術館があり、感動する」という栗原信さん(1894~1966年)の提唱があった。洋画家の栗原さんは旧水内村を訪れたことがあり、二紀会創立に参画した。
旧水内村長、旧信州新町町長を務めた関崎房太郎さん(1908~92年)らが、この呼び掛けに応えて活動した。戦争中に有島生馬が疎開した縁で、戦後早々の貧しい時代に、芸術や文化で町おこしを図った。「自然と芸術の対話」が理念となり、多くの文化人を呼び込んだ。美術館の用地は住民が無償で提供した。
今春、美術館長に就いたのは、前清野小学校長の河原節子さん。書道が専門の河原さんは「縁がある川村驥山さんや青山杉雨さんらの書家の収蔵作品も展示したい」と話す。美術館に新たな分野が広がるかもしれない。
(2019年5月25日掲載)
写真上=長野市にゆかりの深い画家の作品を収蔵する信州新町美術館
写真左=関崎房太郎さんの胸像