
連日の猛暑が一段落した5月下旬の平日、山仲間と長野・群馬県境の破風岳(はふだけ)(1999メートル)に登った後、眼下に荒涼とした光景が広がる嬬恋村の小串鉱山跡を訪ねた。
1916(大正5)年から硫黄の採掘が始まり、71(昭和46)年の閉山まで、国内トップクラスの産出量を誇った。最盛期(1957年)には、標高1650メートルの山中に従業員や家族約2100人が暮らす鉱山街として栄えた地だ。
7時に長野市内を出発。須坂市から高山村へ入り、山田温泉の手前で右折し、県道を万座温泉方面へ向かう。途中で万座方面と分かれ、毛無峠に。東側の毛無山山腹には、採掘した硫黄を長野電鉄須坂駅まで索道で運んだ鉄塔が見える。
小雨の中を破風岳に登り、山頂からの景色を楽しんだ後、毛無峠に下山。10時半過ぎに群馬県側へのゲートを越え、約1キロ先の鉱山跡まで続く未舗装道路を下る。途中、国土交通省の雨量観測所の先から近道に入る。
最初は快適なササ原歩きだったが、やがて道はササで覆われ踏み跡を頼りに進む。程なく鉱山跡の入り口に当たる御地蔵堂(おじぞうどう)に着く。

1937(昭和12)年11月、突如襲った大規模地滑りで亡くなった245人を供養するお堂だ。98年に関係者の寄付で改築された。前庭には犠牲者全員と寄付者の名前、小串鉱山の概要を刻んだ石碑が立っている。
御地蔵堂のすぐ先に、無残に崩れ落ちたコンクリート製の建物跡がある。かつての変電所だ。壁が倒れ、天井には鉄骨がむき出し。いかにも廃虚といった感じだ。
その下の残土が丘のようになっている製錬場跡で、選鉱所跡を見下ろして昼食にする。ここもコンクリート壁が崩れ、上部に硫黄を取り出した坑口が、ぽっかりと穴を開けている。正面に浅間山を望み、カラマツの新緑が美しい周囲とは異空間だ。
昼食後、製錬場跡からロープを伝って20~30メートル下の段に降り、周囲を歩く。草むらの中にトラックの荷台があおむけに転がっている。労組事務所跡とみられる付近には倒壊した木材が散らばっていた。

この西側から南側にかけて、居住区跡が続く。住宅のほか、小中学校や幼稚園、診療所、浴場、遊園地まであったというから驚く。閉山から半世紀近くたち、木造の建物はほとんど姿を消した。
全部見て回る余裕はなかったため、ここで切り上げる。再び御地蔵堂まで戻る途中、上方を仰ぎ見ると、赤茶けた斜面の先に、朝に登った破風岳の峰がのぞいていた。近道を登り詰め、再び毛無峠に。「天空のゴーストタウン」とも呼ばれる小串鉱山跡に浸った半日だった。
(横前公行)
(2019年6月8日掲載)
写真左=荒れ果てた光景が広がる小串鉱山跡。後方が破風岳

写真下左=大規模地滑りによる犠牲者追悼のため改築された御地蔵堂
写真下右=コンクリート壁が崩れ、廃虚と化した変電所跡