
善光寺には広大な「裏庭」がある。雲上殿(納骨堂)の周辺から地附山(733メートル)山頂までの一帯のことだ。
住民らの手によってトレッキングコースが整備され、桜の季節には絶好のお花見スポットに。善光寺平が眼下に一望でき、新緑から紅葉まで、山歩きをしながら豊かな自然景観や歴史を楽しめる。近くの第2地区住民自治協議会や長野市などは「裏庭でお花見、トレッキングを」とPRする。
一帯は、1960年代初頭、観光開発が進められ、ロープウェー、山頂遊園地、動物園、スキー場まであった。戸隠バードラインの開通後、観光も振るわなくなり、相次いで廃止された。トレッキングコースを歩くと、その跡地に出合える。
1985(昭和60)年7月には、地附山南東斜面で起きた大規模な地滑りにより、多くの家屋が被災し、特別養護老人ホーム「松寿荘」のお年寄りが犠牲となった。その後、何本もの水抜き井戸が掘られたり、山肌を緑に変えようと市民の手で植栽が行われたりして、地滑り跡地の一部は、2004年、防災メモリアル地附山公園として開園した。

慰霊碑が立つ松寿荘跡地の隣地から参道を10分ほど歩いた所に、善光寺奥の院ともいわれる駒形嶽(こまがたたけ)駒弓(こまゆみ)神社がある。小さいながら善光寺本堂とよく似た縦長の撞木(しゅもく)造りの社殿に感心する。
この神社には善光寺の年越しにからんで神馬が本堂に参籠するとの伝承があり、社殿内に木馬が安置されている。毎年2月、同神社境内の「善光寺堂童子斎場」で行われる「お駒送り」で、善光寺の正月飾りなどが焼却される。奥の院と別称される由縁を実感する時だ。
地附山は昔、山麓の人たちが薪(たきぎ)取りの権利を持つ入会地だった。周辺地区の住民が神社の氏子となり、近年は、湯谷団地や城山団地の新興住宅住民も加わり、秋祭りがにぎやかに行われている。
地滑り災害の時、神社は硬い岩盤上にあったため無事だった。このため、参拝すると試験にすべらないと験担ぎをする受験生もいる。
「裏庭」の東方面に足を延ばすと前方後円墳や円墳が存在した地附山古墳群がある。浅川扇状地の豊かな土地を支配した豪族の首長の墓と考えられる。
さらに上部の尾根の辺りには桝形(ますがた)城跡(標高710メートル)がある。戦国時代、上杉軍が築き、武田軍に攻められた際に落城した山城だ。土塁を巡らせた主郭や虎口が残っている。

地附山公園は11月24日から3月31日まで冬季の閉園期間中。地附山公園北口からのトレッキングコースも利用が禁止されている。駒弓神社からのルートのみが冬季利用できる。
(2019年12月21日掲載)
写真上=駒形嶽駒弓神社参道入り口
写真左=神社参道入り口脇に立つトレッキングコースマップ